昭和四十六年五月の参議院内閣委員会において、養護学校義務制実施の促進が付帯決議の一つとして決議され、同年六月の中教審答申でも同様の提言があったことをうけて、文部省では四十七年度を初年度とする特殊教育拡充計画を策定した。その中で養護学校は整備七年計画として、五十三年度までに全対象児童・生徒を就学させるのに必要な養護学校の整備を図ることとした。この計画を前提に政令が公布され、五十四年度からの学年進行による養護学校教育の義務化がなされることになった。さらにその後の課題として義務教育前の早期教育の充実と義務教育後の養護学校高等部の整備が図られることになった(学制百二十年史)。
市においても養護学校整備や高等部の設置が急務となった。四十年代以降の学校整備状況をみてみると、四十八年四月に北海道教育大学札幌分校附属小・中学校特殊学級として開設されていた学級が、五十一年四月に附属養護学校として開校した。五十四年には、知的障がいをもつ子どものための道立の北海道星置養護学校が設置された。また上述した山の手養護学校分校となったつぼみ学級は、小学部は中央小学校内に、中学部は中央中学校に施設設備を新たにして開校された。さらに平成二年には高等部分校を中学部に併設して開校し、平成四年には独立した市立の豊成養護学校として新設開校した。しかし一つの養護学校でありながら、小学部は南区の独立校舎に、中学部は中央中学校の一階に、高等部は中央小学校の一階に設置されるという変則的な形での開校となった。そのため平成十六年四月に中・高等部が独立して市立北翔養護学校として独立した。豊成養護学校は小学部のみの養護学校となった。
高等部の設置に関しては、市内の中学校もしくは養護学校の中学部を卒業した障がいをもつ子どもに対し、三年間の教育を行い将来の職業・家庭生活に必要な能力や態度を身につけさせるために、昭和五十二年四月に市立の豊明高等養護学校が開校した。同校は平成五年に校舎を移転・改築し、工業科・産業科・木工科などを設置した。十年には道立の北海道札幌高等養護学校が設置され、また十二年には高等部併置の道立の北海道拓北養護学校が設置された。
養護学校の義務化に伴い、訪問教育も制度化された。健康状態によって毎日の通学が大きな負担になる子どもに、教員を自宅などに派遣する制度である。制度化された当初は、週二日四時間の授業時間しか保証されないという問題もあった。高等部の訪問教育は、十二年度より実施されるようになった。また、障がい児と健常児の対等・平等な関係を築き、人権意識と障がいの科学的理解を進めていくため、障がい児のための学校と協力校、もしくは障がい児とそれぞれの居住地にある学校との「交流教育」も盛んになっている。