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マンドリン、ギターとハーモニカ

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 マンドリン界は、日本マンドリン連盟北海道支部を中心に活動を続けた。同支部は、一〇前後の団体と五〇人前後の個人会員を擁している。
 昭和四十八年一月に最初のコンサートを開いた北海道マンドリン・オーケストラ合同演奏会は、道内各地から一〇団体前後の出演を見ながら開催を続け、五十七年の第一〇回で終了した。
 ギター界は東京から戦後の北海道に種をまいた大塚房喜らの指導のもと、日本ギター連盟主催のコンクールで優勝あるいは上位入賞する奏者を輩出した。北林隆星井清赤坂孝吉藤垣秀雄佐藤寿一大塚和也といった奏者たちで、渋谷忠三・環(たまき)父子らも演奏や指導に活躍を見せた。
 札幌市民劇場では、ギター・マンドリン音楽祭が昭和五十五年度から始まった。
 ハーモニカは昭和三十年代なかばからは下火となっていたが、六十一年に北海道ハーモニカ連盟が、金子善雄を会長に全く新しいメンバーで発足し、六十二年四月に第一回全道ハーモニカコンサートを道新ホールで開いた。これが、こうした形式での戦後初のコンサートであった。平成元年の第三回からは、会場を道内各地に広げて開催していった。