この時期、外来アーティストの演奏会が年々盛んになっていった。オーケストラの来演が恒常的になり、昭和六十二年には六つのオーケストラの来演を見るまでになった。中でも五十二年一月、スイトナー指揮ベルリン国立歌劇場(旧東ドイツ)によるオーケストラ演奏会とオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」の連続公演は、初の外来オペラ公演を成功させたものとして特筆される。
そうしたコンサートのうち、記憶にとどめられているものに、四十九年十一月に道厚生年金会館で行われたソプラノのカラスとテノールのディ・ステファーノのジョイントコンサートがある。最高のソプラノ歌手として世界中のファンを魅了していたカラスは、ツアーを終えて帰国後すぐに病気になり、札幌公演が生涯最後のステージとなった。