一九九〇年代(平2~)後半の時代は、過去に例のない形で民間と行政の関係が問われたといえる。別の視点から見ると、行政が演劇に大きな興味を持ち始めたということなのかもしれない。
一つは平成八年四月、設立準備会・期成会を経て正式に設立された北海道演劇財団、もう一つは六年に創設された北海道文化基金の利子を利用して道民の文化活動への支援を行う、北海道文化財団である。
道演劇財団は、二年に始まった文化芸術運動「STPシアターパークプロジェクト」の中から演劇専用ホール建設へ向かって、五年に設立準備会が発足し七年には設立期成会が結成された。名称も札幌から北海道へ改称している。当初、二〇年の歴史と七〇〇〇人の会員を擁し事業実績のある札幌演鑑を、発展的に統合する計画もあったが、論議の末、独立した組織になったという。
さらに専属の創造集団TPS(シアター・プロジェクト・さっぽろ)を結成し、第一回公演『銀河鉄道の夜』を九年に上演した。付属の養成所もつくり、チーフディレクター斉藤歩(あゆむ)を中心に活発な演劇活動に入った。
道文化財団の設立は、六年十一月である。事業内容は広範で「まちおこし道民シアター」「地域文化ふれあい創造」「地域芸術文化劇場開催」「ほっかいどう移動小劇場開催」事業のほかに文化活動アドバイザー派遣、若手芸術家の海外研修や招聘などである。ほかに機関誌『北のとびら』、道内文化団体住所録、一年間の財団活動の年表などを発行する。また「北の元気舞台」を含む北海道舞台塾、三回で惜しまれて終了した北の戯曲賞などの運営も貴重な仕事だ。十年から橋渡し役として二人のコーディネーターが民間から起用されている。以上の事柄からも道文化財団が、行政と民間を結ぶ重要な役割を持つことが分かるだろう。
直接、芝居との関係は少ないが、もう一つ財団が生まれている。三年に北海道銀行文化財団が設立され、八年には『北海道演劇名鑑』を発行した。