表-5 さっぽろ映画祭 |
年 | 名称 | 会期 | 主会場 | 上映本数 | 主要作品 | 主なゲスト |
昭57 | さっぽろ映画祭1982 | 5/15-28 | 東映パラス2 | 49本 | 「ツィゴイネル・ワイゼン」 | 原田芳雄、四方田犬彦 |
58 | さっぽろ映画祭1983 | 5/18-27 | シネマ5 | 55本 | 「風の歌を聴け」 | かわなかのぶひろ |
59 | さっぽろ映画祭1984 | 6/17-29 | ニコー劇場 | 30本 | 「時をかける少女」 | 原田知世、角川春樹 |
60 | さっぽろ映画祭1985 | 6/29-7/12 | シネマ・ロキシ | 33本 | 「Wの悲劇」 | 柴田恭兵、澤井信一郎 |
61 | さっぽろ映画祭1986 | 6/21-7/4 | 角川シアター | 31本 | 「ミツバチのささやき」 | イ・チャンホ、崔洋一 |
62 | さっぽろ映画祭1987 | 6/26-7/10 | シネマ・アポロン | 33本 | 「ロビンソンの庭」 | 大林宣彦、山本政志 |
平 2 | プレ・さっぽろ・シネ・フェスティバル | 12/12-14 | 赤れんがホール | 4本ほか | 「バタアシ金魚」 | 松岡錠司 |
3 | 南北コリア映画祭 | 12/4-6 | 赤れんがホール | 6本 | 「旅人は休まない」 | ぺ・チャンホ、イ・チャンホ |
4 | さっぽろ北方圏映画祭'92 (共催・西友) | 12/1-6 | 赤れんがホール | 11本 | 「裸のランチ」 | 島田雅彦、品田雄吉 |
5 | さっぽろ北方圏映画祭'93 (共催・西友) | 10/6-11 | 赤れんがホール | 18本 | 「殺人に関する短いフィルム」 | 相米慎二、王好為 |
6 | さっぽろ北方圏映画祭'94 (共催・西友) | 11/22-29 | 赤れんがホール | 17本 | 「戦争と平和 全長版」 | 椎名誠、謝晋、崔洋一 |
7 | さっぽろ映画祭リターンズ'95 | 7/1 | 東宝公楽 | 6本 | 「つきせぬ想い」 | 竹中直人、ツァイ・ミンリャン |
8 | さっぽろ映画祭リターンズ'96 | 6/14-15 | 松竹遊楽館 | 5本 | 「天使の涙」 | 長崎俊一 |
9 | さっぽろ映画祭リターンズ'97 | 6/27-30 | 松竹遊楽館 | 8本ほか | 「永遠なる帝国」「サワダ」 | 朴鐘元、手塚眞 |
10 | さっぽろ映画祭リターンズ'98 | 7/3-5 | 松竹遊楽館 | 8本 | 「冷たい血」 | サブ、藤原智子 |
11 | '99さっぽろ映画祭リターンズ・ファイナル | 7/2-3 | 松竹遊楽館 | 6本 | 「八月のクリスマス」 | ホ・ジノ、サエキけんぞう |
12 | さっぽろ映画祭2000 | 11/17-24 | 東映パラス | 28本ほか | 「風花」「シュリ」 | 及川善弘、中丸シオン |
「札幌を日本の映画の希望の地に」(道新 昭57・2・9夕)というファンの想いが、市民手作りの映画祭を牽引した。五十七年五月、それまで独自に自主上映やシネマラソンを実施していた、シネ・ブラボー北海道(竹岡和田男ら)、ビーチ・フラッシュ(浜田正春ら)、北海道キネ旬友の会(和田由美ら)などの六団体・サークルが、二週間で四九本を一挙上映する「さっぽろ映画祭一九八二」を開催。道内初のファン主導による映画祭であり、道在住作家の自主製作フィルムを公募・上映する部門を設けた点も特色であった。ファンの求める作品上映とともに、地元映像作家を育てることも主眼であり、六十二年までの六回、監督や評論家を招いたゼミナールもあわせて行われた。
映画祭は成功したが、その背景に映画状況を支える若い力の存在があった。五十六年、空いていた札幌駅裏8号倉庫に、映画・演劇関係者が集まり、期限付きのフリースペースを開設した。国内外の自主製作映画上映などさまざまなイベントが行われたが、中心となったのは二〇代後半から三〇代前半の人々であった。「八〇年代、駅裏には札幌のカルチャーシーンがあった」(道新 平12・1・7夕 木村純一)という回想のように、駅裏から発した若い世代の情熱が、札幌の映像文化の原動力だったのである。