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PMFと札幌コンサートホール

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 札幌の夏を芸術音楽でつつむPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル“PACIFIC MUSIC FESTIVAL”)は、平成二年に第一回が開催された。作曲家・指揮者のレナード・バーンスタインが若手の音楽家育成のために構想した教育音楽祭は、急遽(きゅうきょ)日本で開催されることとなり、その開催地として選ばれたのが札幌であった。札幌市では会場となる芸術の森の野外ステージを拡張するなど整備をし、六月二十六日から十九日間にわたって開かれた第一回は大成功をおさめ、PMFは音楽ファンの市民に多大な感動を与えたのであった(第九章第一節参照)。
 札幌市は翌年以降も開催を決め、二年十月一日にPMF準備室を開設し、実行主体としてPMF組織委員会を三年一月二十四日に設立する(PMF10周年記念誌 平11)。
 この継続開催にあわせて、音楽専用ホールの建設計画が浮上してきた。札幌市では平成三年十二月に、芸術文化ホール建設基本構想を策定し、音楽、演劇の各専用ホールと能楽堂の施設整備を行うこととしていた。その中でも音楽専用ホールは、札幌には札幌交響楽団も存在し、クラシックコンサートも多く、平成二年からはPMFも始まっていたこともあって、最優先の施設として建設が決定された。
 ホールの建設は、平成四年八月に音楽専用ホール建設基本計画が策定し、六年九月六日の起工式より始まり、九年二月十七日に建物が竣工し、七月四日にオープンした。ホールの愛称「Kitara(キタラ)」は、公募の中から七年三月二十日に決定していた。札幌コンサートホールは大ホール二〇〇八席、小ホール四五三席があり、建築面積八三八三平方メートル、総事業費は約一九一億円であった。パイプオルガンも設備され音質のよい快適ホールは、各種のコンサートに利用されることになる。

写真-9 札幌コンサートホールKitara