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解題

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 本史料は、明治四年四月から同六年六月に至る開拓使小樽仮役所-札幌開拓使庁-札幌本庁開墾掛の業務日誌である。「細大日記」は北海道立文書館(請求番号〇〇三一六)、「細大日誌」は北海道立図書館(北方資料室)の所蔵である。
 
 周知のように、札幌本府および周辺村落の建設は、明治二年(一八六九)十月に開拓判官島義勇を責任者とする銭函仮役所が設置されることによって開始されたが、早くも翌三年二月に島が東京に召還されて一頓挫を来たした。その後札幌に本府を建設するということの是非から問題となったが、結局同年中に周辺村落を優先させる方針がたてられ、十二月中には札幌方面に移民規則(「農民取締規則」「農業規則」ともいわれる)も定められて、翌四年から本府・周辺村落の建設が本格的に再開された。その後ホーレス・ケプロンはじめお雇い外国人がこれに関与することにより、改めて首府としての立地条件の調査・検討が加えられ、また種々の新たな建設計画、たとえば官庁庁舎、官宅等に洋風建築を加えることなども定められた。そして六年秋には開拓使本庁舎が完成して、本府建設事業は一段落することになった。
 本日誌を記した開墾掛は、明治三年八月、小樽仮役所時代に札幌庶務掛・金穀掛を合併して札幌出張開墾掛となり、同四年六月、すなわち札幌開拓使庁のおかれた翌月に庶務・開墾両掛に分離し、さらに六年六月の局制施行と共に、運漕掛と合して民事局となったものである。
 開墾掛の事務分掌は明らかとなっていない。五年十月の文書に「不日事務章程被相定候迄」云々とあり、少なくとも正式なものはなかったようである。しかし本文中からその若干を拾ってみると、土地(農地、家作地)の割り渡し、移民扶助、勧農など、掛名からおおよそ推定できる業務のほか、町方・村方役人の任免および手当の支給、戸籍業務など行政の根幹となることも主要業務に含まれており、この意味で、開墾掛け本府・周辺村落の建設のみに止まらず、行政執行上でも中枢的な機能を果たしていたといえる。
 
 以上の諸点からみると、本史料は本府建設がもっともさかんに行われ、かつ周辺村落の基盤が据えられた時期の建設・行政執行等に関する記録ということができる。業務日誌という史料の性格上、個々の記述は簡単で、必ずしも具体性に富んではいないものが多いが、それでもその動向はかなりに伺い知り得るし、この史料のみで知り得る事柄も少なくはない。さらに他の史料と併せ用いることによって、より大きな価値をもつものといえよう。
 なお、参考として札幌開拓使庁(明治四年五月~五年九月)の組織名を挙げると庶務掛、開墾掛、金穀掛(五年一月会計掛)、運漕掛、生産掛、刑法掛、資生館、病院となっている。また六年札幌本庁に局制が施行されて庶務・民事・会計・工業・物産・刑法の各局が設置された際、民事局には租税・勧農・戸籍・駅逓・回漕の各課がおかれた。前三課がほぼ開墾掛の業務を引き継いだと思われる。機構の改正はこの後も続くが、本史料は行政機構自体まだ未整備であった時期の記録という面も持っているといえよう。