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解題

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 この項では一 社会・生活、二 教育、三 宗教の三分野にわけ、社会の諸様相を史料的に見ようとした。教育・宗教も本来なら独立した一編を構成すべきであろうが、ページ数の制約もあり、また社会全体に関係する史料を中心に編集した点もあって、「社会」の名のもとに一括した。この時期は新開の地に町や村落が建設され、日本各地の多数の移住民の到来により、はじめて社会が形成され、経済・産業等の発達によって社会も発展しはじめる時期であった。
 
 一 社会・生活 ここでは(一)開拓使布達(二)屯田兵村回文控(三)社会・生活の三節にまとめた。この内、(一)は明治三年(一八七一)~六年の開拓使民事局の案文を含め布達類を収録する。諸規則・法令のみならず、当時の社会状況を反映して、件名番号三のように移住民の心がまえ、また一・一三・一四のように火気取扱の注意まで事細かに布達しており、社会・世相を知る上で興味深いものがある。(二)は主に山鼻兵村における屯田兵や兵村に関係する布達類を収める。今回初めて広く紹介されるものだが、屯田本部や週番所内部の記録など、他に見られない史料も多い。例えば三九・五五・五六・六三などである。これらの史料により屯田兵や兵村の規律、自主的な生活と組織、まだ自給化に至らない初期屯田兵制の特徴などをよくうかがう事ができる。なお(二)は筆跡より見て、三七の署名者渡部庄兵衛(宮城県出身)の掲示布達の手控かと判断される。(三)では社会・経済生活の諸問題を中心に構成した。明治七・八年は周知のように、札幌は非常な不景気にみまわれた。その頃の社会動態と開拓使の諸政策を、ここでは第一にとりあげた。第二に備穀・食料米の貯蓄及び払下げの問題を通して、当時の経済生活・村落の様子をさぐることにした。この頃の状況は「二 札幌市街と周辺村落の形成」でも一部詳細に扱われている。ここではさらに願書類を通じて、当事者達の“生の声”を聞くとともに、開拓使や札幌県などの官庁に依存せざるを得ない、当時の社会のあり方も留意した。なお「一 社会・生活」で対象とすべき事項は、さらに多岐・広範囲にわたるが、紙数の関係できわめて限定せざるを得なかった。
 
 二 教育 ここでは(一)筆算所一件(二)山鼻学校係書類綴込(三)学務課復命書の三史料をとりあげた。(一)は草創期の初等教育の状況を克明に伝えるものである。札幌市中の初等教育機関はこの史料で開設と活動がしられる、寺子屋の流れをくむ市中筆算所(教育所)を嚆矢とする。筆算所は手稲・白石など移住士族により開かれた周辺村落にも開設されていった。市中筆算所は明治六年(一八七四)四月に開学(九五)、七年八月に廃止(一一四)という具合に、短期間の存在にすぎないが、「学制」以前の札幌の初等教育機関としてはたした役割は大きく、その活動状況や経過も(一)でつぶさに語られている。また諸村の教育所もその後継承されると共に、現在の手稲東(西区)・白石(白石区)小学校等の基礎となった。(二)は山鼻学校(現在の中央区山鼻小学校)の明治十五年(一八八三)前後の学校内・外の様子、動向を伝えるものである。同校は琴似学校と共に屯田兵の子弟教育を目的とし、明治十年官立学校として設置された。その故に同校は開拓使・札幌県より補助を受けていたが、(二)に学校経費の史料が多いのも、その為に必要な会計検査に関係しているからであろう。またこの頃は学校維持の為に、全道的に学田・学林等の附属地の払下げがなされているが、(二)にはその関係の規則・方法書類も多く収められていて貴重である。ここで学田地としてあげられている中島は、のち札幌区の公園予定地(現在の中島公園)となり、明治十七年許可取消となっている。なお(二)は山鼻村学校世話係のもとで編綴されたものであり、過渡期における義務教育制の問題を多く内包している史料である。(三)は明治十七年(一七八五)一月札幌県師範学校一等教諭庵崎亮応による、札幌市在の学校巡視の復命書である。学務課では毎年各地に吏員等を派遣し、各学校の状況や学事を調査していた。(三)には教員・学務委員から授業内容や学校経費にわたる十三項目が調査・報告されている。札幌県時代の各学校と、学校をとりまく社会・地域の状況をしる上では格好の史料である。
 
 三 宗教 ここでは神社と寺院を対象とした。のち札幌を有名にしたキリスト教は、既にこの時期に端を発しているが、隆盛におもむくのは次の時期である。神社では当時札幌には官社として三吉(無格社)・札幌(官幣小社)の二社のみであったが、ここでは両社の社格上昇願を収録し、これらの史料を通して両社の成立過程や地域との関係性をみる事にした。寺院の方は『札幌区史』(明治四十四年刊、伊東正三編)の参考史料群である「札幌区史資料」より、寺院沿革調を紹介した。これは明細帳・総代届などよりなり、札幌区内の諸寺院を通覧するのに便利であり、しかも明細帳が網羅されている点は実に貴重である。敢て本編で採録した理由もここにある。