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総説

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12 貸座敷・娼妓・芸妓
公娼制度
 札幌の遊廓建設は,1871年(明4)の土地区画割(都市計画)の段階にあらかじめ遊廓地二町四方を確保することから開始された。そこに旅籠屋を移して「売女」渡世をさせたが,開拓使が「公然売女」を表明したのは翌72年1月のことで,この時旅籠屋を遊女屋と改めさせた。開拓使は,市街繁栄策の一つとして遊廓建設に積極的で,官設遊廓を建設したことは有名である。
 ところが,1872年10月,太政官達第295号で人身売買禁止,芸娼妓年季奉公禁止を命じたいわゆる「芸娼妓解放令」が出された。遊廓建設も開拓の一環と考える開拓使では,この施行の引き伸ばし策に出たが,例外は認められず,翌73年1月施行に踏みきった。しかし,この解放令は芸娼妓の借金返済の無効を宣言したのみで,転職,更生のための施策は示されなかったため,開拓使札幌本庁の場合,同年2月「芸娼妓貸座敷渡世規則」を出して,鑑札制度を導入して娼妓稼業を許可する方向に転じた。札幌本庁以外も同様であった。これにより,従来の遊女屋は貸座敷,遊女は娼妓と名称を変更,娼妓と芸妓を明確化し,鑑札制度による貸座敷免許地が限定的にせよ公許され,一定の税金を支払う代わりに売春を国家が管理しようとする公娼制度が確立されていった(市史 第2巻)。
 1900年(明33)2月,函館の娼妓坂井フタの廃業訴訟が大審院で勝訴となり,これを境に娼妓の自由廃業が相次いだ。娼妓の自由廃業運動の結果を受けて内務省は,同年10月「娼妓取締規則」を出して,これまで各府県ごとに異なっていた規定を統一し,娼妓の年齢制限を16歳から18歳に引き上げ,はじめて自由廃業の規定を明文化した。
 その一方で,1882年の群馬県会の娼妓廃止の建議提出以後,廃娼運動は各地で盛んとなり,日本キリスト教婦人矯風会,廓清会等の活動など全国規模の運動が展開された。北海道廃娼連盟の設置は1929年(昭4)のことで,公娼制度廃止の請願・建議運動は北海道を含め15道府県におよんだ。また,1933年には廓清会北海道支部が創立されたが,他府県が県会レベルで廃娼を決議したにもかかわらず,道会レベルで廃娼案が上程・建議されるにはいたらなかった。
 札幌の場合,貸座敷業等は太平洋戦争末期に自主廃業に追いやられていたが,1946年1月,GHQにより公娼制度廃止命令が出され,同年2月,内務省も「娼妓取締規則」および関係法規を廃止して,ここに公娼制度が廃止されるにいたった。
 
貸座敷・娼妓・芸妓
 ここでは,貸座敷数・芸娼妓数(1871~1901),同(1902~43年),芸娼妓年齢別構成の3表を作成した。統計上での把握のされ方について触れておくと,暦年で追えるようになるのは,『北海道庁統計書』の1902年(明35)以降のことである。したがってそれ以前については第301表に示したごとく,偶然統計の取られている年のみに限定され,その場合それぞれの典拠文献を明記しておいた。また,『北海道庁統計書』の場合,警察の項目中で扱われ,「警察取締ニ属スル諸営業」として把握されているのに対し,『札幌区(市)統計一班』では,商工業の項目中の「警察取締営業者」として把握されるといったように,両者において把握のされ方に多少相違がみられる。また,集計時期の相違からか,集計数値においても両者に相違がみられる。ことに1910年(明40)以降の『北海道庁統計書』には,「遊興人員」「遊興費」といった項目も把握されていて興味深い。以上掲げた理由等から,ここでは『北海道庁統計書』に依拠して作表した。
 第301表~第303表を通してみて,次のことがいえよう。まず貸座敷数では,1902年(明35)には46軒のピークに達し,これは遊廓開設時の1871年の3.5倍に増加している。娼妓数については,1897年に300人を突破すると,1900年代にみるみる増加し,日露戦争を経た1908年には435人に達するといった増加ぶりを示した。その後減少傾向に転じるも,18年から32年までは200人台を維持,特に昭和初期の不況期にはやや微増するといった傾向さえ示した。芸妓数については,05年に132人と100人台を維持したのも束の間,18年には314人と急増し,26年(昭1)には722人とピークに達した。その後減少したものの,37年の日中戦争勃発年でも413人を数えた。これら娼妓,芸妓数の増減は,経済変動に伴うものが最大の要囚と考えられるが,これらの数字に表われていない私娼が何倍か存在したことも考慮する必要があろう。なお,遊客数が18年(大7)には20万7702人とピークに達したのは,この年札幌区を中心に開催された開道50年記念北海道博覧会との関係であろう。また,第303表からは娼妓・芸妓の年齢別構成では,18~29歳にもっとも集中していたことが知られる。