ビューア該当ページ

総説

81 ~ 82 / 637ページ
15 宗 教
信徒数の調査法
 宗教は『札幌区(市)統計一班』に収録されている神社,寺院,神道教会,仏道説教所,キリスト教会の数値をまとめて,以下の9表を作成した。第336表「寺院檀信徒数(1907~23)」,第337表「寺院・僧侶数(1921~38)」,第338表「神道教会・信徒数(1911~23)」,第339表「神道教会・教師数(1921~38)」,第340表「仏道説教所信徒数(1911~23)」,第341表「仏道説教所・僧侶数(1922~38)」,第342表「キリスト教会信徒数(1911~23)」,第343表「キリスト教会布教師・信徒数(1921~38)」,第344表「神社・神職数(192~38)」。
 これらは札幌市における戦前期の宗教動向のあり方を,数値的によく示しているものとなっている。ここではまず,同書における数値の根拠となる,信徒数届出の調査のあり方をみてみたい。北海道庁,札幌区(市)が神社,寺院,神道教会所,仏道説教所,キリスト教会のそれぞれの信徒数を把握することとなった法令は神社,寺院の場合,1908年(明41)4月25日に公布された北海道庁令第83号「神社規程」,同日の第84号「寺院規程」である。この規程には毎年12月末現在の信徒数を1月30日までに区を通じて道庁長官へ届け出ることとなっており,第336表はこれをもとに区役所で各寺院の檀信徒数を把握し,統計に記載したものとみられる。北海道立図書館所蔵の『札幌宗教関係書類』は,1927年(昭2)から43年(昭18)まで札幌市役所庶務課,教育課が扱った書類群であるが,そこには各種の「信徒数届」が収められている。「信徒数届」には各年末における所在地,寺院名,檀信徒数(戸数,男女数,合計),届日,住職名を記入する道庁長官宛の檀信徒数届の用紙が市役所から1月に回付され,これに記入して市役所へ送り届けることになっていた。
 神道教会所,仏道説教所については,1919年(大8)6月4日の北海道庁令第85号「神仏道ノ教会所竝ニ宣教ニ関スル規程」に,教会(説教)所では「教徒及信徒名簿ヲ調製スヘシ」と規程し,毎年2月末日まで道庁長官へ届け出ることとしている。添付されている「教信徒人員表」には,表頭には農業,商業,職工などの職業欄,表側には越人員,退社・死亡,新入社員・現在員(各男女別)の人員欄があり,担当教師,信徒総代人が署名して届け出るものであった。第338表,第340表はこの規程をもとにして第336表と同様に作成されたと思われる。
 キリスト教会の信徒数は1903年(明36)2月の訓第78号にもとづき,教会の所在地,名称,信徒総数,男女内訳,届日,設立・管理者(住所・氏名・印)を記した「信徒数届出」を2通作成し提出することになっていた。1通は北海道庁へ送られ,もう1通は区(市)役所に保管されたとみられ,第342表もこれをもとに作成されたのであろう。
 第337表の寺院僧侶,第339表の神道教会教師,第341表の仏道説教所の僧侶,第343表のキリスト教会布教師,第344表の神社・神職数については,毎年どのような調査・届出が行われていたのか,さらにどの調査・届出をもとにして『札幌区(市)統計一班』に記載となったかは不明である。神道教会所の場合,「信徒数届」には教師数が記載されているものもあるが,別に「宣布者届」も出されており,それによって集計したかもしれないし,14年には「教信徒数届」となっており,これには教師資格をもつ教徒数が記載されている。これらを集計すれば教師数が算出できるのであるが,正確なところは不明である。キリスト教会では内国人,米国人,英国人,仏国人などの欄に人数を記す「宣布者調」を,毎年市役所宛へ提出しており,これにもとづき作成されたとみられる。
 なお社寺,教会を担当した部署は,1922年(大11)に札幌市となってからは庶務課で取り扱っていたが,これ以前の区役所での担当も同様であったろう。その後,1928年に教育課,41年に庶務課庶務係,44年に教学社会課教化係,45年に教学課教化係と変遷している。主に戦時期における国家神道の強化,宗教の教化手段としての利用と統制がはかられた時期に,担当部署がめまぐるしく変化するようになっている。
 
札幌の特徴
 以下,各表から読み取れることを簡単に述べて置くことにする。第336表からは市内の五大寺院といわれる本願寺別院(大谷派),本願寺札幌別院(本願寺派),新善光寺,中央寺,経王寺の檀信徒が多かったことがわかる。ただ新善光寺,中央寺にみられるように,必ずしも実数の正確な報告ではないし,戸数と員数の捉え方も寺によって異なっている。個別の寺院,教会の信徒数は市の段階となる1923年で終わり,『札幌市統計一班』からは掲載されなくなる。これ以後も毎年,「檀信徒数届」はその後も提出されてはいたが,数値の正確さの問題や寺院,教会数の増加などもあって名簿的な寺院毎の掲載は見送りになったと思われる。その後は第337表のように宗派別の寺院・僧侶数の集計となる。しかし,『札幌宗教関係書類』には毎年,僧侶数の届出が行われていた形跡はなく,どのような方法で僧侶数の集計を行っていたのか不明である。宗派別の寺院数では本願寺派,大谷派,興正寺などのある真宗が多いのが札幌市の特徴であった。
 第338表からは市内に20カ所の教会の所在が判明するが,そのうち天理教が10カ所もあり,天理教の教勢が強かったのが札幌市の特徴であった。そのことは第339表からもうかがうことができる。特に1924,25年には天理教では教祖40年祭を記念した布教活動により教会は増加をみており,1938年にも増えていた。後者の場合も,1936年の教祖50年祭にともなう活動の結果とみられる。
 札幌では「札幌バンド」以来,キリスト教が定着し伸展していったのであるが,第342,343表の数値を利用した信徒数の数的な趨勢に関しては,すでに鈴江英一の分析があるので参照されたい(さっぽろ文庫41 札幌とキリスト教)。第344表の神社は「官社」として神社創設の認可を受けたものであり,1938年現在は三吉(県社),伊夜日子(弥彦郷社),豊平・諏訪(村社),招魂社,ならびに無格社は札幌村神社か苗穂神社かではあるが,正確には「官社」が7社であった。