自然の歴史への人間の挑戦

2 ~ 4

品川区の土地自然の歴史は、後述のように、およそ一三万年前のむかし、間氷期に起こったできごとから詳しく説きおこすことができる。そしてそれから少なくとも一〇万年余の長い年月をかけて、自然は自然そのものの原因でうつり変わってきた。これは地質時代でいうと、第四紀とよばれるもっとも新しい時代の、それも最新期にあたる時代である。この第四紀時代は、気候がいちじるしく変化したことでよく知られているが、その気候変化あるいはそれにともなう海水面の昇降運動は、地質学の語るところを聞くと、たちまちのうちに寒くなったり、反対に暖くなったり、急速に陸が海水で水びたしになったり、干上がったりしたように受けとれる。しかし、それらの変化の速さは、とても人間の生活時間の尺度で測れるほど速いものではなかったと考えられる。

 こうした自然のはたらきが、自然を支配した時代にとって代わって、人間が土地を支配する主役となったのは、少なくとも二万年を遡る昔のことであった。品川区内では、まだこの時期(先土器時代、あるいは旧石器時代の後期)の遺物は発掘されていないけれども、武蔵野の諸地域ではすでに発掘されており、しかもそれと同じ遺物包含層が区内の台地にも広く分布することからみて、この時代にもなにがしかの人々が、当区域に住みついていたことはまず確実と思われる。

 ところで、こうした原始時代の人々は、すでに他の動物たちとは異なって、「人為的」な自然改造をわずかながら、はじめていたと考えられる。たとえば火を使うことによって野火の発生を招き、それが自然植生に影響し、さらにめぐって表土の性質を変えるといった具合に。やがて土器の時代に入って焼畑耕作、開田といった過程のなかで、たとえば土壌浸食の加速化を招いたり、人工土壌を生み出したりして、次第に土地の形や性質は変貌の度合いを速めていく。このように、明治以降の大規模な土地自然の改変前に、徐々にではあるが、区内の自然は、人間のはたらきかけによって変えられてきた。

 自然が人間を支配したのは、遠い古代の昔であった。いまはあたかも人間が自然を支配しているかにみえる。しかし、自然と人間のかかわり合いは、自然の営みを知らなければ生活できなかった未開の時代のみに深かったのではない。超近代的なビルが建ちならぶ現代でも、自然そのものを理解し、自然に調和した利用の方法を考える必要性は、けっして少なくなってはいないのである。人間が自然を支配したかのように過信して、これを無視するとき、自然は痛烈な「災害」という形で自己批判を人間に迫る。われわれは、自然のほんのごく一部しか、まだ知ってはいないのである。

 現在ならびに将来の、この地域の土地自然の変化は、人工がその第一の力となることは明らかであるが、人間のために人間がしたことが、人間にとって必ずしも良い結果をもたらすとはいえない場合が生ずるにちがいない。どのような改変がよいのかは、自然史の深い理解のもとに考えなければならないであろう。自然は歴史の産物である。

 いまここで現代における人間の力を重要視したが、前述のとおり、現在の自然の成立には、自然の大いなる営力が関与してきたのである。すなわち、海面の昇降や、それをもたらした気候変化、あるいは地震や火山活動、地殻の昇降運動、そして流水による浸食作用などである。過去の歴史の説明にはもちろんのこと、遠い将来の姿を考える上にも、これらの作用の発生と盛衰に関する法則性の追究は重要である。そこで、ここにあふれるばかりの人工物のおおいをとおして、われわれの母なる大地のなりたちや生い立ちを考えてみることにしよう。そこらの道端にある石くれや土くれ、あるいは何気なしに通りすぎる平坦な台地面や坂道、これらはすべて、かつての自然の営みの跡である。これら物言わぬ輩に物言わせて、当区の自然史をくみたてることにしよう。