武蔵野台地

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冬の晴れた朝、区内の台地上にたっている高い建物にのぼって、遠くを眺めてみよう。関東平野の西を限る山波は遠く、地平線の上にわずかな高まりをみせているにすぎない。富士山・丹沢(たんざわ)山地から右に(北方に)、奥多摩の標高一、〇〇〇メートルを越す山地がうねっている。これが前記の台地をつくる扇状地礫層のふるさとであった山地である。しかし、ここから奥多摩までは直線で六〇キロメートルもある。いかにも遠い。

 この武蔵野台地は、長さ五〇キロメートル、幅二五キロメートルの、日本最大級の扇状地性洪積台地の一つである。それをつくった多摩川は、長さ一二六キロメートルで、けっして長大な川ではない。にもかかわらず、その扇状地がこのように大きいことは、関東平野という日本でもっとも大きい構造平野(盆地状に沈みこむ運動によってつくられた平野)に位置したからである。

 品川区の位置は、この武蔵野台地がまさに東京湾に没しようとするところにある。形成史の観点から言葉をかえれば、沖積世の海の浸食作用によって、台地が削られて後退した、その先端部に、品川区は位置する。

 武蔵野といえば、その名を市名とした吉祥寺あるいは三鷹や田無などの、広々とした平坦な地域をすぐ思い浮かべるにちがいない。品川区域の武蔵野は、それらの地域と比べると、谷に刻まれることが多く、より起伏にとんでいるといえる。それはさきに述べたように、海に近い位置にあるため、海食崖やそれからのびた谷がよく発達し、台地平坦面を分離しているからである。

 品川区の土地自然の歴史は、このように武蔵野台地や沖積低地の歴史の一部として編まれる。だから、当区の歴史も、おたがいに共通した歴史をもっている南関東全域の発達史のなかでとらえないと、正確を期し難いことになる。