第一図に示されるように、武蔵野台地の等高線の画く模様は、青梅、あるいは狭山丘陵を中心とした同心円状であり、いわゆる扇状地であることを示す。そのことは、武蔵野の西部一帯には、関東火山灰層の下に、旧多摩川の河床礫が広く分布するという地質とも符合する。台地の高さは、西端で一八〇メートル、これより東や北の方向に順次低下し、末端ではおよそ一五ないし三〇メートルとなる。
このように大観するとき、武蔵野台地は扇状地が刻まれたものと片付けられてしまいそうだが、詳しくみると、ずいぶん長い時間を要し、しかも段階的にできあがったものであり、しかも、河川のはたらきによるばかりでなく、相当内陸にまでかつて海が入り込んだことがわかる。つまり、この台地は、高低の差をもち、切ったり切られたり、おおったりおおわれたりする、いくつかの時代の台地の集合であり、また構成する地層も、地形にともなって異なっているのである。