第5図は大井埠頭がまだできない時期の、品川沖の海底地形をあらわす。また第6図は、より広く、東京湾中・北部の海底地形のあらましを示す。
第6図によると、東京湾は横浜本牧沖以北では、水深四〇メートル以浅の、底質が泥からなるごく単調な海底が広い。横浜沖以南では、次第に深く幅もせまくなって、まるで陸上の谷のような蛇行をなす。これは観音崎の海底水道とよばれ、後述するように二~三万年前の氷期に海面が低下したときに、当時の利根川・荒川・多摩川などが合流して掘り下げた古東京川の名残りであると考えられる。このように東京湾南部が深い谷地形をなすのに、北部が単調な浅い海であるのは、東京湾北部で注ぐ諸河川が、多量の堆積物を供給して谷に埋積したからである。この単調な海底の地形を詳しくみると、水深三メートル以浅の平坦面と、一〇~三〇メートルの深さの平らな面とに区別できる。両者の境は、比高数メートルないし十数メートルの斜面で、三角洲のうち粗粒の砂からなる前置斜面とよばれるものにあたる。江戸川のそれは多摩川のものよりゆるいというように、川により前置斜面の傾斜がちがうのは、堆積物の粒度と傾斜とが関係深いからである。湾岸にある浅い平坦面は、どんどん埋め立てられている。また深い方の平坦面は三角洲の底置層とよばれる泥層からおもに構成される。
ところで、品川沖の海底地形をみると(第5図参照)、東京湾北部海底の単調さを破って、芝浦から弓なりに東南方向へ幅約三〇〇メートル、深さ約七メートルの奇妙な谷が、のびていることに気づくであろう。これはいうまでもなく、自然の海底谷ではない。船運のために海底を浚渫して生じた「運河」なのである。この浚渫物質は海岸の埋め立て用に使われている。
品川沖の海底では海岸と同様に、自然そのままの姿をさがすことは至難のわざとなりつつある。