前に火山灰は地史を解く上の鍵層となることをのべた。鍵といっても、火山灰によってはいろいろな程度の重要性がある。立川ローム・武蔵野ロームといった、大きな区分単位でとらえても、鍵の役目は果たすが、もう少し細かい編年をおこなうためには、なるべく大火山活動で飛ばされた火山灰層が、何層も数多く識別されることが望まれる。時計の目盛りが豊富になるわけである。
そうした鍵層とは、次のような条件をより多く充たしているものである。(イ) 大爆発の産物で、非常に広い範囲に厚く分布すること。(ロ) 他の火山灰とはちがった特色(色・粒の粗さ、ふるい分けの程度、鉱物組成など)をもっていて、識別ならびに同定が容易であること。(ハ) その堆積時代に関し、地層や地形面の形成時代と何らかの関係がつくものであること、できれば、絶対年代が測定されること。こうした条件をある程度充たす、南関東の鍵火山灰層のなかで、当地に分布するものを、第1表に列挙しておく。それらがでてくる地表からの深さは、第8図④を参照されたい。
起源火山とその活動期 | 分布 | 区内での厚さ (cm) |
肉眼的特徴 | 鉱物上の特徴* | 層位 | 年代 (フィッション・トラック法による) |
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万年 | |||||||
東京軽石層 (TP) |
箱根 (軽石流噴出期) |
箱根から東北東へ。きわめて広く南関東全域に分布。 | 20± | 黄橙色,粒径1-2mm ざらざらして砂状,あまり風化していない。 | Hyp≧Mg>Au Tc=350°~360℃ |
武蔵野ローム下部 | 4.9 |
三浦軽石層 (MP) |
箱根 (軽石流噴出期) |
箱根から東微北へ。品川区は分布の北限にあたる横浜・木更津をおおう。 | 痕跡ていど | 色,粒度など分布軸に近いところでは東京軽石に似るが,区内では黄色軽石粒(1mm)がみられるのみ。 | Hyp>Au=Mg Tc=325℃ |
武蔵野ロ-ム下部(TPの20cm下位) | 未測定 |
小原台軽石層 (クリヨウカン軽石層) (OP またはKup) |
箱根 (軽石流噴出期) |
箱根から東へ三浦半島.房総半島中部をおおう。分布の北限は所沢・浦和付近。 | 粗粒軽石の散点帯(5±) | 黄色,粒径2-4mm東京軽石に比べ粗粒。粒と粒との間は褐色火山灰層が埋める。やや風化する。 | Mg>Hyp>Au>Horn Tc=310°~320℃ |
下末吉ローム上部 | 6.6 |
御岳第1軽石層 | 木曽御岳 (第2期=カルデラ形成爆発的活動期) |
御岳から東ないし東南東へ.南信から山梨県下,南関東と広域をおおう。 | 風化のため不連続的であるが残っているところでは5以上 | 白色,粒径1mm以下細粒で揃う。陸成層は風化―粘土化し粒は不明となる。水成層は粒が明瞭。 | Mg>Horn>Hyp≒Zr(Biot.含む) Tc=450°C 著しく珪長質 |
下末吉ローム中部 | 7.3~9.5 (ほぼ8) |
三色アイス軽石群 | 箱根 (新期外輪山形成期) |
箱根から主に東方へ。北限は浦和・大宮付近。 | あわせて約40 | 黄―青―灰色など多彩。粒は風化し不明瞭なこと多し。ただ,中下部に粗粒部のみられることあり。 | 鉱物組成は層によりいろいろある。 Mg Hyp Auが主体,Olがわずかに入ることあり。 |
下末吉ローム下部 | 11.7~13.2 |
,Hyp:しそ輝石,Au:普通輝石,Mg:磁鉄鉱,Horn:角閃石,Ol:かんらん石,Biot:黒雲母,Zr:ジルコン,Tc:強磁性鉱物のキューリー温度。
第1表のように、鍵火山灰は意外に、富士山に由来するものはなく、箱根火山に起源するものが多い。そして第8図④も合わせてみると、比較的下位の層準に多いことがわかるであろう。このことは、富士山より箱根山の活動が古いということ、および箱根山の爆発の方が、富士よりも大規模なものが多かったことを示唆している。
後者については、富士は玄武岩質、箱根は安山岩質という、火山岩の岩質のちがいによって説明される。玄武岩マグマは安山岩マグマに較べ、ガス圧が低く、流動性が大きいので、溶岩として火口から流れ出ることが多く、あまり爆発的な活動はしない。富士があのような美しい円錐形をなしているのも、こうした岩質のため大爆発により山体の一部がこわれたり、陥没したりすることが少なかったことによっている。箱根はこれに対し、何度も非常な大爆発をおこして山容をたびたび改めた。もとは富士的な円錐形火山であったが、破壊的な爆発がおこり、二回も陥没してカルデラをつくった。そのうち新しいカルデラの形成に関与した火山灰が、遠く品川区にも飛んで来ている。東京軽石とクリヨウカン軽石(小原台軽石)(第1表参照)である(9)。
東京軽石については、すでに簡単に紹介したが、多少の補足をしておこう。それの分布を等厚線(厚さの等しいところをつらねた線)で画くと、第9図のようになる。軽石の粒のあらさも厚さとほぼ比例している。この図によると、その分布の軸は、箱根火山から東北東の方向にのび、南関東一円をおおっている。南関東のもっともよい鍵層の一つといわれるゆえんである。当区でも厚さ二〇センチメートルを数え、明確に識別できる。
こうした広い分布をする多量の噴出物は、しばしば何回もの大爆発の集合であることが多い。東京軽石もその例にもれず、少なくとも五枚の降下単層を数えることができ、多少その分布範囲を異にする。噴煙柱の高さと上層風の風向とが各回わずかずつ異なったためであろう。そして最後の大爆発のときに、火砕流堆積物とよばれる、高温のガスに富んだマグマのかけらの流れが噴出し、山腹をはいくだって、箱根の四方に流れ出した。東方には野を越え丘を越えてはるばる横浜まで到達したことがわかっている。品川区内でも注意してこの東京軽石層を観察すると、その最上部にひどく粗い軽石が砂状の破片とまじっている部分を見出すことができるかもしれない。これが火砕流の末裔(えい)の堆積物である。
東京軽石およびその直後の火砕流の結果、箱根火山では、それまでにつくられていた新期楯状火山の中央部が陥没し、カルデラがつくられた。いまそびえている神山や駒ヶ岳、二子山などは、このカルデラにその後噴出した箱根の最新の山々である。
つぎにクリヨウカンと野外で愛称をもつ軽石にふれよう。これは東京軽石の下位約二~二・五メートルの位置にある。栗ようかん状の軽石層である。栗にあたるものが黄色の粗粒軽石で、ようかんにあたるものが粉状の火山灰の充塡物である。これは品川区内ではよほど注意しないと、肉眼では識別できない。しかし、目黒台では砂礫層の直上に、また高輪・荏原台では砂層上面より約三・五メートル上方にあることが、試錐のコアの詳しい調査によってわかった。
クリヨウカン軽石は、当区から南へ追いかけてみると、横浜あたりで東京軽石に匹敵する立派な軽石層となり、その南、三浦半島中部では東京軽石をしのぐ厚い、粗粒の黄色軽石層となる。これは模式地の名をとって小原台軽石と名付けられている。分布は第9図のとおりで、東京軽石よりも南北の幅はせまいが、箱根から東方へ細長く飛散した。箱根の火山活動史の上からみると、これも火砕流堆積物を随伴しており、東京軽石でほぼ終わりをつげる火砕流噴出期の、いわばさきがけとなった噴出物である。
ところで、こうした鍵火山灰層の絶対年代を知ることができると、火山の歴史のみならず、台地の形成史を考察するにも有意義である。立川ロームというような比較的新しい時代の年代測定には、放射性炭素法が威力を発揮するが、東京軽石や小原台軽石の古さとなると、この方法はもはや通用しない。最近まで有効な方法がみつからなかったが、ようやくフィッション・トラック法(238Uが崩壊するときに放射するエネルギーの飛跡〔フィッション・トラック〕を顕微鏡下で数えることによる年代測定法)や、230Thの壊変を利用したイオニウム法などが開発されるようになった。その結果、東京軽石は第1表のように、黒曜石にフィッション・トラック法を適用して、四万九千年前、小原台軽石も、同法により六万六千年前にそれぞれ噴出したと測定された(11)。なお、最近、鈴木正男氏が、小原台軽石について、黒曜石の水和層の厚さを測ることによる年代測定を追試的におこなったところ、同法では六万六千年より若干古くなる可能性があるという。
目黒台はこのクリヨウカン軽石、すなわち小原台軽石を砂礫層の直上にのせるところから判断すると、約七万年ないし八万年前にでき上がったと考えられる。
なお、目黒台のつづきと考えられる武蔵野の豊島台(池袋・朝霞、成増などの台地)では、クリヨウカン軽石の下にまだ鍵軽石がある。それははるばる木曽御岳から飛んできた、御岳第一軽石層(Pm-Ⅰ)で、砂礫層の最上部に数十センチメートルの厚さで、白色粘土層として認められる。従来板橋粘土とよばれたものはこれにあたる。品川区内でも、条件がよければ、この層を見出すことができるであろう。東京界隈では、南は三浦半島、横浜、房総半島中・北部(木更津付近)から、北の浦和・大宮以北にまで広く見出されるからである。
この御岳第一浮石は黒雲母やジルコンなどのきわめて珪長質の鉱物からなることが特徴である。鉱物のなかでもジルコンはウラン含有量が多いので、放射年代の測定が可能である。これのフィッション・トラック法によると、約八万年前ごろに噴出した、と測られている(11)。
さて、高輪台や荏原台では、御岳第一軽石よりも下位に、まだ鍵層となる軽石層が存在する。しかし、区内では、こうした古さになると、風化がはなはだしく、それ以上の軽石層のように一枚の層として識別することが不可能に近くなる。ましてや試錐のコアではなかなかわかりにくい。そこで、数枚の軽石をまとめて、いわば鍵火山灰群として扱わざるをえないというわけである。
西大井の富士見台中の試錐資料(第8図④)では、砂層の直上に厚さ四〇センチメートル白・黄・青灰色などの雑色を呈し、粘土化のすゝんだ軽石帯が認められる。これはその産状からまとめて三色アイス軽石と愛称されている。下末吉火山灰層下部の鍵軽石群である。
これらは箱根火山の歴史のなかでは、新期外輪山、つまり古期外輪山のカルデラを埋めた、流動性のいちじるしい溶岩からなる楯状火山の、形成初期の噴出物である。そして、年代も、そのなかの黒曜石のフィッション・トラック年代で、十三万年前から十一万年前という値がえられている。
この年代値はとりもなおさず、それの堆積している、高輪台や荏原台の成立の時代を物語る。およそ十三~十二万年前に台地化したと考えてよいであろう。
こうして、台地成立の年代については、それをおおう火山灰の年代から議論できた。それでは何のおおいもない沖積低地(第8図①参照)の年代についてはどうだろうか。いうまでもなく、現在形成中のところが、川沿いとか海岸ぞいには存在する。しかし、台地の縁などの低地にはかなり古く陸地化したところがある。南関東の沖積低地をうずめる堆積物のなかには、黒土層に含まれる火山灰が水成層として入っていることがある。沖積低地はどんなに古く陸地化したところでも、赤土にはおおわれないのだから、立川ロームの終末、つまり約一万年前よりは新しいといえる。品川区内では、貝塚の分布その他からみて、台地の周辺の低地は、古くても五千年前位には陸化したものと考えられる。