旧石器

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人間がこの武蔵野の地を生活の舞台としはじめたのはいつか、これは考古学の主要な課題の一つとなっている。時代の古い人類遺物は地下のより深いところからでるので、発見の機会がより少なくなる。そのためもあってか、南関東では武蔵野火山灰以下からはまだ旧石器が発見されていない。

 最近、調布市野川から多量の旧石器が出土し、詳しい層位学的研究と、型式学的研究がおこなわれた(6)。この旧石器はすべて立川火山灰層に含まれる。つまりおよそ三万年から一万年前の間につくられたものである。

 立川火山灰層は、第8図②~④のように、そのなかに少なくとも二枚の暗色帯をふくんでいる。石器が多量に出土するのは、このうち上位の暗色帯より上の部分で、放射性炭素法によるとおよそ一万八千年前以降の時代である。このころから人間の活動がとくに盛んになったことが知られる。石器の型式も時代とともにうつり変わる。とくに顕著なのは、立川火山灰層の中部、上下の暗色帯の中間の層準から、ナイフ型石器とよばれる特異な石器が出現することである。また最上部層になると、この石器は多量の尖頭器にとってかわられることも特徴である。さらに、石器の原石として用いられる黒曜石が、初期には主に箱根産であったものが、後期になるとより良質の信州の和田峠付近に産地をもつものにとってかわられることも知られており(7)、交易の推移を知る手がかりを与えている。

 

 1 岡義記(一九七〇)「Late Pleistoceneの海面変化に関する諸問題」地理科学 一四巻 一一~二一ページ。

2 羽鳥謙三ほか五名(一九六二)「東京湾周辺における第四紀末期の諸問題」第四紀研究 二巻 六九~九〇ページ。

3 貝塚爽平・森山昭雄(一九六九)「相模川沖積低地の地形と沖積層」地理学評論 四二巻 八五~一〇五ページ。

4 町田洋・鈴木正男・宮崎明子(一九七一)「南関東の立川・武蔵野ロームにおける先土器時代遺物包含層の編年」第四紀研究 一〇巻 二九〇~三〇五ページ。

5 関東ローム研究グループ(一九六五)『関東ローム』東京。

6 小林達雄・小田静夫(一九七一)「野川先土器時代遺跡の研究―野川遺跡と石器文化」第四紀研究 一〇巻 二三一~二四四ページ。

7 鈴木正男(一九七一)「野川遺跡出土黒曜石の原産地推定および水和層測定」第四紀研究一〇巻 二五〇~二五二ページ。