縄文土器と黒土層

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立川火山灰層の最上部、すなわち赤土にかわって黒土が堆積する時代になると、はじめて縄文式土器の文化があらわれる。縄文式土器は日本各地でくわしい型式学的・編年学的研究が行なわれて、沢山の時代を異にする型式に分かれることがわかっている。そのうちもっとも古いものの絶対年代は、八千年とか九千年、あるいは最近では一万年を遡る古い年代の測定値(放射性炭素法による)が得られている。大陸における土器の年代が一般にこれより若い年代であるので、日本の考古学界では、縄文土器の古さや年代測定の信頼性について、いろいろ議論されている。いずれにしろ、放射性炭素法による年代尺度では、これら土器を含む黒土層はおよそ一万年前以降に堆積したとみなすことができる。

 この一万年前という年代は、地質学では第四紀を分かつ更新世と沖積世(完新世)の境界年代と約束されている。ウルム氷期の氷河は一万数千年前以後どんどんとけて後退したが、一時後退をやめて、大きな堆石堤を建設したことがある。これが北欧などでは一・一万ないし一万年前とされている。また、縄文土器の発明などで明らかなように、このころ人類の知恵は新しい道具を発明した。このようなできごとが一万年前という時代を意義づけている。