品川区内でもしばしば崖崩れによる災害が発生している。たとえば、明治四十四年八月十日の雨では品川神社天王山の南側斜面が崩壊し、斜面下の家二軒が半壊している。その他、明治二十七年、明治四十三年などにも記録があるが、詳細は不明である。これまでの記録では、目黒川左岸や立会川右岸の荏原台と低地との境界を形成している谷壁や、海食崖の地域での発生例が多い。
最近では比較的多数の被害が、昭和三十二年九月二十六日の狩野川台風による降雨で発生している。気象庁の記録によれば、九月二十六日の日雨量が三九二・五ミリ(気象庁始まって以来の記録)、最大時間雨量が十七時から十八時に七六ミリメートルと記録されている(13)。この降雨により、都内では崖一〇三ヵ所、擁壁二二六ヵ所の計三二九ヵ所に被害が発生している(14)。このうち品川区内では切土された崖で擁壁のないもの(いわゆる崖)が七ヵ所、同じく擁壁のあるもの七ヵ所、盛土された崖(一般には崖全体が盛土からなるのではなく、一部が盛土されている)で一〇ヵ所の計二四ヵ所で被害が発生している(15)。被害個所を第十三図に示した。被害個所が目黒川左岸に集中しているのがみとめられる。これは、都内全域でみると、崖崩れが集中的に発生しているのは荏原台(とくに大田区)、淀橋台(とくに港区)、豊島台(とくに板橋区)とよばれる古い台地面を刻む谷の谷壁に集中していることと一致する。この原因はいろいろ論議されているが、これらの台地面は古い地形面であるので谷密度が大きいことや、地層の構成に原因があると考えられている。目黒川左岸の地域以外では目黒川右岸の地域にもみられる。また、立会川の流域には被害が発生していない。これは、目黒川と立会川の流域では谷壁の比高や傾斜に差があるためや、人為的な改変の仕方に差があることなどが原因として考えられる。
狩野川台風以降では、昭和四十一年六月二十八日の四号台風により品川区内では七ヵ所で崖崩れが発生している(16)。狩野川台風による被害地域と同様な地域で被害が出ている。
なお、昭和四十四年度におこなわれた東京都首都整備局による都区内の崖・擁壁の悉皆調査(17)では、品川区で一、六五七ヵ所が調査され、うち六〇ヵ所の危険度が大きいことが指摘された。危険度の大きい崖は目黒川左岸の北品川および東五反田、目黒川右岸の西品川の地域、ならびに西大井に集中している。
注 1 門村浩(一九七一)「都市化に伴う自然環境の変化と災害との関連性に関する一般的考察」 東京都立大学都市研究報告十四 一~一四ページ。
2 中野尊正・門村浩・松田磐余(一九六九)「地域の変化に伴う災害の変質」 人文地理 二一巻 六〇一~六一六ページ。
3 宮田正(一九六九)「石神井川流域の都市化による流出変化と水害の傾向」 地理評 四二巻 六六七~六八〇ページ。
4 建設省国土地理院(一九六三)『水害予防対策土地条件調査報告書』 一〇九ページ。
5 品川町役場(一九三二)『品川町史』 下巻 一、一〇六ページ。
6 大井町役場(一九三二)『大井町史』 四二二ページ。
7 前掲 (5)
8 前掲 (6)
9 気象庁統計課(一九六四)「東京都六十年間の異常気象」(一九〇一~一九六〇)、気象庁技術報告 三二号 一九九ページ。
10 東京都建設局の資料による。
11 東京管区気象台(一九七〇)「東京都気象月報」 昭和四五年九月 二〇ページ。
12 中野尊正・松田磐余ほか(一九七〇)「都市化にともなう自然環境の変化(1)」 東京都立大学都市研究調査報告 二 四五ページ。
13 気象庁(一九六四)「狩野川台風調査報告」 気象庁技術報告 三七号 一六八ページ。
14 東京都首都整備局(一九七一)「建築物に関する特別区内のがけ及び擁壁実態調査報告書」 一〇三ページ。
15 東京都首都整備局の資料による。
16 前掲 (14)
17 前掲 (14)