品川区の降水量

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東京都の降水量の地域的分布から、品川区の特徴を明確にするために、昭和四十二年から四十六年までの五年間の年平均降水量の分布を求めた(2)。年平均降水量が最も多いのは、西部の山岳地帯および南部の町田市周辺にかけてで、一、四〇〇ミリメートルを越える。この地域から東部にかけて年降水量は漸減し、南東部の東京湾沿いの地域では一、三〇〇ミリメートル以下となる。品川区は東京都内では雨の少ない地域に属し、五年間の平均値は一、二五〇~一、三〇〇ミリメートルである。


第18図 年平均降水量(昭和42年~46年)

 降水量には季節の推移が非常によく表われる。品川区内には常設の観測所がないので東京芝浦の芝浦下水処理場での資料を通じてみてみよう。

 芝浦での昭和四十二年から四十六年までの五年間の月平均降水量を第4表、第19図に示した。東京都および、その周辺部での降水量の季節的特性の一般的傾向が現われている。降水量の多いのは六月および九月、十月である。六月のピークは梅雨によってもたらされ、九月、十月のピークは台風の襲来と秋霖によるものである。反対に雨の少ない月は、十一月から三月にかけてである。なかでもシベリア高気圧が発達する十二月、一月、二月の三ヵ月が少ない(なお、昭和四十三年から四十四年にかけての冬は、暖冬異変といわれたほど暖く、雨量も多かったので、冬期に降水量が減少する傾向は少しぼやけている)。四月と五月は冬から夏へと遷移する季節で、低気圧による降雨があり、中間的な降雨量を示す。また、七月、八月は小笠原高気圧に覆われ、降雨の少ない期間がはさまれるので、六月および九月、十月のピークにくらべ雨量は少ない。

第4表 芝浦の降水量(単位mm)
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
昭和42年 37 59 72 107 47 125 77 45 127 197 73 30
昭和43年 13 *(21) 71 117 175 135 126 304 88 146 27 194
昭和44年 68 112 *(74) 103 98 222 103 144 147 124 102 6
昭和45年 61 37 52 83 199 230 98 24 109 118 141 56
昭和46年 37 49 96 177 105 123 112 184 305 235 29 55
平均 43 **64 **72 117 125 167 103 140 155 164 74 68

(資料は東京管区気象台発行の東京都気象月報による)
*1部欠測
**1部欠測をのぞく
4年間の平均値


第19図 芝浦における月平均降水量(昭和42年~46年)

 月降水量の年変動は大きく、年によっては平均値と大きく異なる。また、ピークの現われる月も違ってくる。たとえば、前記の五ヵ年間だけでも、十二月の雨量が最も少ないのは昭和四十四年で、わずかに六ミリメートルである。これに対して、最も多い昭和四十二年では一九四ミリメートルに達する。夏期も同様で、八月の雨量が最も少なかったのは昭和四十五年の二十四ミリメートルであるのに対して、最も多いのは昭和四十三年で、三〇四ミリメートルである。六月についても同様なことがいえる。したがって、年変化も年によって異なり、昭和四十三年にはピークが八月と十二月になるなど、平均値とは全く違った様相をしめすことがある。

 このように降水量が大幅に変動することは、いろいろの問題を発生させる。梅雨期が空梅雨に終わり、梅雨末期の豪雨がなく、加えて、夏期に小笠原高気圧がよく発達すると、水飢饉になる。昭和三十九年七月下旬から八月にかけての水不足は記憶に新しい。この時には、小河内・村山・山口の貯水量が満水時の四%となり、深刻な社会問題となった。また、昭和四十二年から四十三年にかけての冬では、異常乾燥が続き、火災が頻発し、郊外では野菜の生育がいちじるしく妨げられた。

 降雨量が大きくなるのは、弱い雨が長期に降る場合よりも豪雨によることが多い。したがって、必ずといってよいほど水害をともない、梅雨期や台風期に頻発する。品川区でも第3表に示した一六例のうち、一一例は七~九月に集中し、その原因も台風による豪雨や、台風により前線が刺激されて降る場合が多い。昭和四十二年十月二十八日や昭和四十六年九月二十八日に発生した水害はその例である。