地下水位および地下水面の深さ

107 ~ 109

昭和四十五年の調査では三〇の井戸(大田区内のもの一ヵ所をふくむ)、昭和四十七年の調査では三二の井戸で水位を測定することができた(うち二回とも測定したもの二一点)。重複点において両年の水位を比較すると、ほとんどの井戸で昭和四十七年の方が高く、増加量は数十センチの場合が多いが、なかには二メートルに達するものもある。これは昭和四十七年の冬の雨量が例年にくらべていちじるしく多かつたためである。昭和四十五年と昭和四十七年の東京の一、二月の雨量を比較してみると、前者がそれぞれ、五八・五ミリメートル、三四・五ミリメートルであるのに対し、後者はそれぞれ一一三・五ミリメートル一四二・〇ミリメートルで、総量で前者の三倍近くに達している。

 昭和四十七年の測定を中心に、昭和四十五年の測定およびその年におこなわれた四点のボーリングの際の地下水位の記録、さらに湧水点五点の高さ(うち一点は目黒区内)を参考にして、地下水面の高さを第23図にまとめた。


第23図 品川区の地下水の概況

 一般に自由面地下水の地下水面の形状は、おおむね地形に順応するが、起伏の程度は地表面にくらべてゆるやかである。

 当区で地下水面の最も高い部分は、区の北西部から西部にかけての小山台、小山付近で二五~二七メートルに達する。立会川より北の目黒台では、この付近を頂点として、全体としてゆるやかに南東の方向に傾いている。高輪台では、上大崎一丁目の一九メートルを最高に目黒川の沖積地にむかって南西の方向に傾いている。荏原台および立会川より南の目黒台では、西大井二丁目の一七メートルを最高に、立会川および海岸低地の方向にむかって傾いている。沖積地での水位は、台地よりも一段と低く、立会川の沖積地では源氏前橋近くで一五メートルであり、下流にむかって徐々に低下する。目黒川沿いの沖積地では、水位はさらに低く、区内では多くの部分が五メートル以下である。海岸近くではいっそう低くなり、ゼロメートルの等値線は京浜急行の線路の東側約二〇〇メートルにあって線路にほぼ平行である。

 地表から地下水面までの深さについては、今回の二度の調査では、資料が少ないため、確定的なことはいえないが、当区で地下水面が最も深いのは北部の高輪台であり、次が目黒台である。荏原台に関しては、今回の調査では得られた資料があまりにも少ないため、一般的傾向を論ずることはできない。その深さは、最も深い高輪台では上大崎一丁目近辺で九~一一メートル近くに達するが、目黒台では、多くのものは約一・五~三メートルの範囲内にある。なお、目黒台・荏原台の周辺部には七メートルをこすものが散在する。高輪台のものもふくめて、これら地下水面の深い井戸は、いずれも谷の発達のよい地域や崖のそばなど、漏水しやすいところに存在する。

 また地下水面の深さが三メートル以浅の浅い井戸と七メートルをこす深いものとは帯水層を異にするものと考えられる。

 沖積地では地下水面の深さは約二~三メートルのものが多いが、揚水が集中する地区ではそれよりも深くなる場合がある。