東京付近における先土器時代の遺跡は、昭和二十六年東京都板橋区茂呂(もろ)において確認され、その後、石神井(しゃくじい)川および野川の流域において幾つかの遺跡が調査されている。
石神井川流域の茂呂遺跡より出土した石器は、茂呂型ナイフと称されるもので、旧石器時代の後期の所産とされ、前述のこの時期の三期編年よりすれば、第二期に相当するものである。その資料は、さして豊富ではなく、ほぼ同時期の遺跡が埼玉県新座(にいざ)市の市場坂より発見され、南関東地方におけるナイフ型石器文化が明瞭になった。この時期には、黒曜石を原材として用いるナイフ型石器のほか、石匁・掻器(そうき)などが見られ、その分布は中部地方の南半にまで及んでいる。石器の原材として利用された黒曜石は当初は箱根産を用い、ついで信州和田峠産を用いたことが明らかにされつつあり、当時における人々の活動範囲がうかがわれる。
ついで過渡期の細石匁を伴う文化が、東京都練馬区中村南遺跡などにおいて確認され、それは中部地方南半に分布するものと、類似の要素を有している。
品川区には、現在のところ以上のごとき先土器時代の遺跡は発見されていない。しかし、赤土のなかに深く存在するこの時代の遺跡が、将来なんらかの機会に検出される可能性もあり、その時には、品川区における人類生活の上限が究められることになるであろう。