土器を伴う文化

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土器の発生は、先土器文化の伝統をもつ文化のなかより認められる。しかし、それがわが国の自生であるか、また、大陸伝来の他生要素によるものであるか、現在のところ明らかにされていない。その要因は、隣接する大陸側の資料が充分示されていないことにあるが、近い将来この問題に関する解答も、かの地の調査の進展によって用意されてくることであろう。

 先土器時代の研究は、すでに見てきたように石器の研究が中心をなしており、その形態の変化と出土層位の観察によって、年代的な序列が考えられている。しかし、土器の発生が認められる文化にいたると、石器に代わって土器の研究が時代設定の標準資料となってくる。先土器文化の次に現われた文化は、縄文文化とよばれる縄文式土器を伴うもので、ほぼ新石器時代に相当する文化である。この縄文文化の研究は、縄文式土器の分析によって、その時代的推移が把握される。

 文献資料の存在しない時代および存在しても僅少な時代の研究は、石器・骨角器(こっかくき)についで土器の型式的変遷が時代設定の指針となり、縄文式土器の研究によって縄文時代の展開の過程がたどられるようになる。

 縄文文化の研究は、明治十年十月に実施されたアメリカ人の動物学者エドワード=シルヴェスター=モースによる大森貝塚(東京都品川区より大田区にわたって存在)の発掘によって開始された。その後、縄文式土器の型式認識にもとづく研究は、大正時代の後半より着手され、昭和十年代の前半にいたって大綱が確立された。それは、早・前・中・後・晩の五期に大別され、ついでそれぞれの時期をさらに細別する土器編年が編成されるにいたったのである(山内清男『日本遠古之文化』)。最近においてはかかる研究の再検討と、あらたなる土器型式の検出がなされ、早期以前に草創期を設定して六期に大別する編年案が提出されるにいたった(山内清男「縄紋草創期の諸問題」『MUSEUM』二二四)。


第25図 E・S モース