西光寺貝塚の築成された前後より大森貝塚と同じ時期にかけて、集落が発展していた遺跡として、広町二丁目の権現台貝塚がある。この貝塚は古く湮滅し去り、その状態は明らかでないが、明治三十年代の後半に、江見水蔭などが発掘をおこなっている(『地中の秘密』)。貝塚構成の貝類には、サザエ・ツメタガイ・アカニシ・バイ・アカガイ・イタボガキ・カキ・ハマグリ・アサリ・シオフキ・フジミナ・オオノガイ・サルボウがあり、獣類にイノシシ・シカ・イヌ・ネコが出土しているという(酒詰仲男前掲書)。土器は、後期の加曽利B式・安行Ⅰ・Ⅱ式が多く出土したようであり、土偶・土製獣・土版および打・磨石斧、骨製品の検出も知られている。これらの資料は散逸し、現在それらを見ることを得ないのは遺憾である。
この権現台貝塚は、貝塚をのせる洪積丘陵とともに切り崩され、国鉄大井工場となっている地点に存在していた。