仙台坂貝塚の西南方約六〇〇メートルの地、東大井三丁目に位置するものであるが、詳細は不明である。わずかに後期中葉の加曽利B式などを出土する貝塚であったようである(堀田正祥など前掲論文)。
以上の五つの貝塚は、いずれも標高一〇メートル以下、ほぼ八~六メートルの地点に位置するもので、立会川の谷を挾んで北(左)岸に権現台・仙台坂・立会川の三貝塚が、南(右)岸に西光寺貝塚があり、それと若干離れて大森貝塚が見られる。これらの貝塚は、純鹹あるいは主鹹貝塚の様相を有しており、東京湾に直面して形成されたものであることが明らかである。貝の生息条件より見ると、遠浅の砂浜にところどころ岩礁が散在する海辺状態が想定される。
後期の前半より晩期の初頭にかけては、かかる自然条件であったと考えられ、晩期の土器と分離して出土することが多い。したがって晩期に入ると海岸線はさらに後退し、貝塚の築成に好条件の地形を持続することなく変化したのか、あるいは生業の主体が別の面に求められたのか、そのいずれかであろうと考えられる。