検地延期願

415 ~ 416

さて認可時の条件によると、安永三・四・五年の三年が鍬下年季で、同六年に検地をうけるはずであったが、同六年十月四日になって、願人の治兵衛から、「目黒川落口の出洲を浚上げて新地を築いてみたが、なにさま海面のことであるので、平日でも浪当たりが強く、色々と波除工事もしてみたが、風雨が強く高波のときは波がうち上げる有様で、いまだに築立工事が完成していない有様で、今年約束通り検地を受けることはできないので、どうか波除堤のりっぱなのができ、新地築立が完成するまで、今より七ヵ年検地を延期してほしい」という願書を差出している。この段階では築立予定地約一町歩のうち、三反歩ほどが何とかできあがっていたが、それもまだ不充分なところが多く、地固めのためという名目で、子供狂言の芝居などを催していたが、今後とも検地を受けるまでの七年間、同様の目的のため子供芝居の興行を願い出ている。この代償として冥加金を別途に四両出そうと申し出ているところをみると、この芝居興行が若干の収益になったのであろうか。この願いは両者とも願い通り許可されるが、約束の七年がすぎた天明四年(一七八四)になっても、従前よりわずかに五畝歩だけ築立地がふえただけで、いっこうに工事がはかどっておらず、願人治兵衛は前回同様の理由で、また検地を七年延期してくれるよう願出ている。

 この願出にたいし役所側は、人を派遣して種々検討した結果、七年は無理だが天明八年までの五ヵ年の延期を認めるから、その間に充分精出して努力するようにと申し渡した。しかしその五年間にもいっこうに築立はすすまず、寛政元年(一七八九)三月にまた同五年までの五ヵ年の延期を申しいれ、許可されている。