上大崎村は東は下大崎村および品川宿、南は桐ケ谷・谷山両村、西は下目黒村、北は今里村に接した村であるが、谷山・下大崎両村とは土地が入組んでいて明確な堺を引きにくい。東西約一五町、南北約一二町ほどで、南方に目黒川が流れている。永峯町・六軒茶屋町の二つの小名よりなる。地名のおこりについては「南浦地名考」に「秩父山より続て尾崎なる故に名とす。後に大崎と書改しという」とわかったようなわからぬような説明がついている。目黒川におちるところで北から続いてきた台地が終わりになっているのは事実で、それを尾の端(大崎)と見たてての説であろう。
家数は文政十一年(一八二八)成立の『新編武蔵風土記稿』には二一軒、安政二年(一八五五)の書上げには二四軒とある。
村高は四三九石四斗一合一勺、うち田が七七石八斗余、この反別七町三反四畝余、畑が三五八石一斗六升〇合、この反別三八町一畝二〇歩と、このほか三石七斗八升の新田がある。
正保の古図に大崎村とのみあるところから上・下両大崎が分かれたのはその後のことと考えられるが、元禄検地段階では上・下両大崎に分かれている。
村内には萱野二ヵ所、百姓持林十一ヵ所のほか、一ッ橋殿抱屋敷・松平上総介抱屋敷・松平主殿頭抱屋敷・真田伊豆守抱屋敷・森佐渡守抱屋敷・長田亀吉抱屋敷・井戸平八郎抱屋敷・高木新五郎抱屋敷など武家の抱屋敷が多い。