戸越村は南品川宿の北にあり、南は南品川宿および中延村、西は碑文谷・下目黒・小山の三ヶ村、北は桐ケ谷村に接する東西約二四町、南北八町余の村。唐ケ崎・平塚・辻・中通・石清水・藪清水といった六つの小名よりなりたっている。
戸越という村名は、江戸を越えての里だとも、江戸の千戸万戸をこえての里だから、この名があるとの説が「南浦地名考」に出ている。〝とごし〟ではなく〝とごえ〟というのが本来の読名だとされている。
文政十一年(一八二八)成立の『新編武蔵風土記稿』には、家数三三一軒とあるが、安政二年(一八五五)の書上げによると三四一軒、村高は九二三石二斗である。反別は一一八町六畝拾七歩で、うち田が八〇石七斗五升、反別で八町三反八畝余、畑が八四〇石六斗一升、反別で一〇九町六反八畝というように畑地の比率が圧倒的に多い。土性も砂錯(まじ)りのどちらかといえば畑地向である。
江戸から移住してきた山路竹翁という人が、自分の畑で手余り地になっていたところえ、孟宗竹を植えたのがはじまりといわれ、八町歩余に及ぶ大竹藪をはじめとして、村内に竹藪が多く、たけのこはこの村の名産であった。
この村の顕著な特徴は村内に武家地の多いことである。いま弘化二年(一八四五)段階の武家地をあげると次のようになる。
八町四反五畝拾四歩 松平隠岐守
弐町九反七畝廿五歩 京極長門守
七町四反弐畝廿九歩 松平内記
一、八六一坪 西郷賢之丞
五〇〇坪 秋元右近
二〇〇坪 山下市左衛門
七〇〇坪 小栗直之丞
一、〇二六坪 溝口伊勢守
三〇〇坪 石野伝兵衛
二〇〇坪 岩瀬内記
一〇〇坪 松平山城守預り
三〇〇坪 豊田伝次郎
六二五坪 松平三次郎
七三二坪 松平山城守
二〇〇坪 片岡孝太郎
二〇〇坪 安部次郎兵衛
三〇〇坪 小笠原重左衛門
一〇〇坪 近藤富次郎
二〇〇坪 平松〓三郎
二、〇〇〇坪 関備前守
一五〇坪 岡部四郎兵衛
一〇〇坪 秋田淡路守
三三五坪 松平越前守
三〇三坪 松平隠岐守
五〇〇坪 窪平十郎
一〇〇坪 金子小左衛門
三〇〇坪 津軽出雲守
四、二〇一坪余 津軽越中守