ここで処刑された人は数知れないが、有名なのは〝慶安の変=由井正雪の乱〟に関係した丸橋忠弥の一味や、平井権八・八百屋お七・浜島庄兵衛(日本左衛門)などがいるといわれるが、若干疑点がないではない。それで『御仕置裁許帳』から刑場が鈴ケ森のものを抜いてみるとつぎのようである。なお年月日は判決のあった日である。
○ 木戸主計
貞享三年十一月九日 三日晒・鋸挽のうえ磔
善見坊をその下人甚兵衛とともに殺害したため。
○ 甚兵衛
貞享三年十一月九日 死骸磔
師の善見坊を木戸主計と殺害したため。
○ 鈴木金兵衛
元禄二年八月四日 死骸磔
主人の母親を殺害したため。
○ 半内父・半内母・半内弟
元禄二年九月一日 死罪獄門
半内が主人の親を切り殺したため。
○ 岸右衛門
元禄七年三月十六日 死骸磔
岸右衛門が主人を殺害したため。
○ 市助
元禄三年十一月二十五日 日本橋で三日晒のうえ磔
主人を傷つけたため。
○ 仁兵衛
元禄三年十一月二十六日 獄門
主人に切りつけたため。
○ 長助
元禄三年十二月一日 死罪獄門
主人に傷をおわせたため。
○ ふき
元禄七年五月十九日 死罪獄門
毒殺するつもりで主人の食事に鼠糞を混入したため。
○ 長谷半三郎
元禄十年十一月二十八日 磔
養父を棒で打ったため。
○ 孫兵衛
元禄十二年三月四日 死罪獄門
品川の畠の中で小坊主を殺したため。
○ 七兵衛
元禄二年十二月十一日 死罪獄門
養子が病気になったのでこれを捨て殺したため。
○ 吉兵衛
元禄十年二月二十一日 死罪獄門
養女を捨てたため。
○ 長右衛門
元禄十年閏二月二十一日 磔
養女を切り殺したため。
○ 三右衛門
貞享四年二月五日 斬罪獄門
養女を捨てたため。
○ 行故
貞享四年十一月二十九日 磔
師匠を殺害したため。
○ 日甚
(貞享三年二月) 磔
他家奉公の女と密通したため
○ 佐藤儀右衛門
元禄八年九月七日 死罪獄門
古傍輩のことを貼文したため。
○ 望月兵右衛門
天和二年六月十一日 江戸中引廻し獄門
女房の母を殺害したため。
○ 八兵衛・紋左衛門
喜右衛門・三左衛門
寛文九年八月十三日 斬罪獄門
博奕をしたため。
○ 惣兵衛
寛文十二年正月二十五日 火罪
火付けをしたため。
○ さし
延宝九年四月十六日 獄門
主人の家に火を付けたため。
○ 権兵衛・猿之助
何右衛門・長兵衛
天和三年十月六日 火罪
放火のため。
○ 伝蔵
天和三年七月十九日 火罪
主人が給金もくれず、そのうえ暇を出されたので主人宅に放火したため。
○ 作左衛門
寛文九年七月十一日 斬罪獄門
百両の借金の証人となり、債務者は欠落、保証義務の履行不可能のため。
○ 久大夫
寛文九年九月十三日 斬罪獄門
保証義務の履行不充分のため。
○ 太兵衛
寛文九年九月十三日 斬罪獄門
保証義務の履行不充分のため。
○ 酒井伝左衛門
元禄七年七月一日 死罪獄門
主人の知行所で勝手に百姓をつかって猪二頭をとらせたため。
○ 伊右衛門
貞享五年正月二十日 獄門
鶏をしめて売ったため。
○ 伝兵衛
貞享二年二月二十一日 斬罪獄門
鉄砲で鳥をうつたため。
○ 安左衛門
元禄二年四月十二日 斬罪獄門
江戸城の御堀で鯉鮒をとり商売したため。
○ 仁左衛門・久兵衛
元禄二年四月十二日 斬罪獄門
江戸城御堀で鯉鮒をとったため。
○ 紋右衛門
貞享四年正月六日 獄門
十三年以前に偽銀をつくったため。
○ 忠兵衛
元禄七年六月七日 磔
偽の理由をかかげて地頭を訴えたため。
もっとも多いのが主殺しとそれに類するものであるが、養子・養女を捨てたためというのが処刑理由としてあるのは、当時養育金を目当てとして子供をもらいうけ、子供の養育の方は手をぬく者が多かったためである。