2 武家地と寺社門前地

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 江戸の町を行政権限の相違から区分すると、町奉行支配の町地と寺社奉行支配の寺社地およびその門前地と、各々その当主に支配権があり、ほぼ独立した治外法権的な性格をもつ武家地(大名・旗本屋敷および抱地)との三つの区画からなっている。

 品川区地域は行政区画からいえば〝町〟に対する〝在〟の部分にあたり、天領の場合は勘定奉行(私領の場合は郡奉行)の支配に属する地区である。にもかかわらず、この地区が江戸の町に隣接しているため、江戸にみられる行政権の複雑さをかなり持ちこんでいる。武家地と寺社地および寺社門前地の多量の存在がそれである。

 それを図示したのが附録の地図である。この地図は国立国会図書館蔵の旧幕引継文書中にある「品川目黒辺絵図」をもとにして作ったもので、天保十三年(一八四二)夏ごろの状況を写したものだと考えられる(国立国文学研究資料館講師 原島陽一氏考証)。

 品川区地域においては武家地は、戸越・大井村を除けばほとんど目黒川北岸地域に集中しており、寺社および寺社門前地は品川宿地域に集中している。いま当地区において武家地と寺社地およびその門前地の一番多い品川宿について弘化二年(一八四五)の武家地を表示すると第24表のようになる。

第24表 品川の武家地
名前 区分 面積
北品川
1 狩野晴川 抱屋敷 459
2 元鶴飛騨 614
3 塙次郎 拝領地 1,069
4 有馬日向守 抱屋敷 1,053
5 加藤能登守 拝領屋敷 8,099
6 松平出羽守 14,982
7 松平陸奥守 抱屋敷拝領地 21,316
8 細川豊前守 5,230
9 久留島伊予守 5,064
南品川 畝 歩
10 狩野晴川 抱屋敷 5.12
11 嶋津淡路守 65.14

(北原進氏作成)

 品川宿でもっとも目立つ存在は寺社門前地である。それは北品川地区と南品川地区とにまたがっているが、とくに多いのは南品川地区である。いまそれを表示すると第25表のようになる。

第25表 寺社門前町
(A) 北品川地区
町名 町方支配入年月 区分・場所 面積(坪) 備考
善福寺門前 延享3年2月 除地 147
養願寺門前 除地,北側 158 計 183坪
〃  南側 25
正徳寺門前 宝暦11年2月 年貢地,表門北側 71余
除地,裏門脇南側 115 計 382坪
〃  〃  北側 128余
〃  同寺北の方 138余
稲荷門前 延享2年 拝領地,北側 1,092余
東海寺門前 延享2年 〃   東側北の方 992 計 1,501坪
〃   〃  南の方 509
清徳寺門前 延享2年11月 除地,北の方 763 計 1,018坪
〃  南の方 255

(北原進氏作成)

(B) 南品川地区
町名 町方支配入 場所区分 面積(坪) 備考
貴船門前 延享3年 門前除地,北側東 135余 計278坪
〃    北側西 75余
〃    南側 68
貴船社地門前 除地,年貢地東側 270 計468坪
〃    西側 198
本栄寺門前 年貢地北側 49
願行寺門前 門前年貢地南側 69余 計353坪
除地,  〃 144
〃    〃 140
蓮長寺門前 除地,北側 120
妙蓮寺門前 除地,北側東 140 計408坪
〃  〃 西 268余
海蔵寺門前 延享3年 往還道東,願行寺境~石橋際 150 計1,497坪
 〃   石橋際~同寺大門 160
 〃   大門角~西の角 140
裏手西の角 140
横町東側南,願行寺境 452
西側常行寺境迄 455
常行寺門前 延享3年 門前年貢地西側 74
門前年貢地 148
門前除地,南側 89余 計143坪
〃    北側 54
常行寺新門前 明和5年起立 除地,東側 40 寺社奉行支配
計738坪
430
268余
妙国寺門前 延享2年12月15日 西側品川宿境~同寺大門角 264 計3,700坪
〃 大門角~諏訪明神角 456余
〃 諏訪明神角~門前横丁角 319
〃 横丁南角~品川寺門前境 291余
東側南品川境~浜道角 412余
〃 浜道角~浜道自身番屋 652余
〃 自身番屋~品川寺門前境 922余
〃 横丁通北入口~西南角 214余
〃 〃北側西の方品川寺裏門前 170余
妙国寺裏新門前 裏門前片町 447余 寺社奉行支配
計1,762坪
安永5年起立 新門前片町 1,315
品川寺門前 延享2年12月 西側同寺南角~海雲寺門前境 182 計1,607坪
 〃  北角~妙国寺門前境 408
東側門前西角~三軒家町境 276
〃 門先自身番所 12
〃 門先南角~妙国寺門前境 342
〃横丁南角妙国寺門前境~西境 387余
海雲寺門前 門前年貢地西側北の方 90 計220坪
  〃    南の方 130
海晏寺門前 延享2年 門前除地北の方 903余 計3,244坪
大門南角自身番屋 5余
 〃  西側南の方 712余
門前年貢地東側北の方 1,030余
   〃   南の方 594余
長徳寺門前 延享3年2月 門前年貢地西側 37余

(北原進氏作成)

 表中の「町方支配入」の年月が、延享二年(一七四五)または同三年に集中している理由は次のごとき事情によるものである。寺社門前地は本来寺社奉行支配地であったが、江戸の場合、大体が一つ一つの地域が極小であるうえ多くが町地に混在し町人が住みながら町奉行の支配からはずされていたので、行政上とくに治安維持のうえからいって不便なことが多かった。このため延享二年(一七四五)閏十二月十五日に、幕府は江戸の寺社奉行支配の町屋を町奉行支配に切りかえた。品川宿のばあい、江戸市内ではないが、江戸に隣接しているので、この処置に準じて品川台町本立寺門前・北品川稲荷門前・北品川清徳寺門前・北品川東海寺門前・南品川妙国寺門前・南品川品川寺門前・南品川海雲寺門前・南品川海晏寺門前が町方支配に切りかえられた(『東京市史稿』市街篇第二四)。

 次に支配(領主権)の構造についてみよう。


第150図 松平氏抱屋敷侍門