さて品川区地域の組合村の組織のしかたについては、最初は品川宿を中心として、その周辺地区の四七ヵ村すなわち
品川宿 南品川猟師町 下高輪村 今里村 白金村
三田村 上目黒村 中目黒村 下目黒村 桐ケ谷村
谷山村 上大崎村 下大崎村 居木橋村 戸越村
小山村 碑文谷村 中延村 雪ケ谷村 石川村
上沼部村 下沼部村 道々橋村 下中延村 上蛇窪村
下蛇窪村 二日五日市村 大井村 市野倉村 馬込村
桐ケ谷村 池上村 久ケ原村 下池上村 今泉村
徳持村 蓮沼村 堤方村 新井宿村 不入斗村
西大森村 北蒲田村 糀谷村 下袋村 東大森村
北大森村
など四八ヵ村を一つのグループとして組合村をつくることを、品川宿の問屋名主たちは希望し、関係筋に運動をしているが(立正大学蔵「利田家文書」)芝増上寺御霊屋料の村々が自分たちだけで組合村をつくりたいと願い出て許されたので結局品川宿は南品川・同猟師町・北品川・同歩行新宿の四町で一つの寄場組合をつくり、他の品川区域内村々は大森村を中心として三七ヵ村が寄場組合をつくった。大森組寄場組合の村々・石高・家数は次の通りである(「武蔵国御改革組合限石高家数村名録」)。
東大森 六一七石一五 四三九軒
北大森 四四〇・一九五 二三一〃
西大森 四一九・三八八 二八一〃
不入斗 五七五・四九六 一八七〃
下袋 三〇二・五 六八〃
▲大井 一五六三・〇六 五一三〃
▲下蛇窪 二七三・一〇一 五〇〃
▲上蛇窪 一八五石五二 三六軒
▲戸越 七五三・二二九 一四五〃
▲桐ケ谷 三六七・三五 五八〃
▲上大崎 一五八・七八 二三〃
▲谷山 一一〇・一九 二一〃
▲下大崎 二二七・三 四二〃
▲居木橋 二三一・八三 四〇〃
▲二日五日市 九八・九三 二一〃
御園 七六・五四 一二〃
女塚 一九八・四六 三〇〃
道塚 二一一・五 三七〃
峯 八三五・六二 一三八〃
新井宿 九三六・七九 一一七〃
市野倉 一六二・四 三一〃
堤方 七四・三六 一〇〃
上目黒 一〇三八・〇八 一八七〃
△小山 二六九・三 六三〃
雪ケ谷 五四一石九二 一二〇軒
△中延 四八〇・五 六二〃
道々橋 一五〇・七八 三三〃
池上 五七二・五四六 八七〃
下池上 一〇〇・〇 二五〃
桐ケ谷 六四・三八 一七〃
碑文谷 二八四・五三六 一三三〃
馬込 五一六・〇 一四六〃
三田 一〇三・一一 二三〃
白金 一二三・一三 一三〇〃
今里 一一八・九二 四四〃
下高輪 一六・三七 六六〃
△久ケ原 三七四・〇二 六九〃
村名中△印をつけたのが品川区地域内に属する村々で、そのうち▲をつけている部分が大井村を中心として小組合をつくっているが、他の小組合がどのような組み合わせであったかは、現在見られる史料の範囲ではわからない。