取締りの強化

506 ~ 508

文政の改革によって関東の農村は、それなりの治安回復は得られたようだが、しかし抜本的な問題解決にはもちろんならず、時代とともに、どちらかといえば悪化の傾向をたどった。とくに天保改革の失敗、それにつづく異国船来航問題、開港は単に精神的な面だけではなく、経済的にも農村を大きくゆさぶり、関東の治安状況はますます悪くなった。

 幕府は文久三年、関東取締出役をとおしての組合村の再強化を決意し、四月十日に再強化のための触を出している。

 全三条より成っており、第一条は前書にあたる部分で、文政改革の趣意は村々を組合村に組織し、組合内の者が申し合わせて勧農・教諭・火付盗賊そのほか悪党などを捕えて、百姓たちが安穏に農業ができるようにということであったが、近年はとかく組合内に無宿者や悪党どもが立廻っても、一向に差押えようともせず、万事が改革以前の状況にかえっているので、ここでふたたび文政改革の趣意を確認して、万事に精励するように、としている。

 第二条では文政改革のときに組合村に建てた杭が、年が経るままに朽ち腐れ倒れたままになったり、文字が消えたままになっているのもある。それでは改革の趣意が忘れ去られることになるので、案文の通りに杭を建て直すように、としている。

 第三条では、近来江戸御府内の者が近郊在方へやってきて、猥りに田畑を潰して家作をつくる者が多いように聞くが、これは以ての外である。田畑を屋敷にして家作をするには前々から定法もあることだから、その点心得ちがいないように、小前にもよくよく承知させるように、というのである。

 そして別紙に改革についての杭の建てかたが記されている。それは別図の通り一本の杭の正面に「文政度の御改革の趣意を堅く守ります」、右側面に「火附・盗賊・無宿・悪党などがやって来たら捕へて差し出します」、左側面に

 「ここは何国何郡何村外何ケ村組合に属する何村である」と村名とその所属組合とを記したものである。


 この触を関係村々にまわし、それを村民に読聞かせて尊守すべき旨の小前連印帳を差出させたが、桐ケ谷村・谷山村などの連印帳差出しがおくれたため提出を督促したりしている(「伊藤家文書」)。

 しかしこのころは時期ももう幕末に近づき、世情騒然としていたせいか、四月の触もあまり効果をあげなかったのか、七月に至ってふたたび、関東取締出役の安原・松本両名が品川宿まで出張、ここに寄場役人大小惣代を集め、四月のものよりもっと強い、かつ具体的指示を含めた触を関係村々に出している。全六条で、

 第一条、近年諸事取締り方がなおざりになっている由の事であるので、文政の御改革よりも今度の事を十倍も厳重に心得て、村方はもちろん組合村々取締りを充分にして平安第一とするように。

 第二条、村々で長脇差を帯び乱暴が手に余る者があったら、打殺してもかまわない。

 第三条、夫食や諸品の買上げ直段を引上げることはやめるよう。たとえ他組合でのことであっても、そのようなことがあったら、寄場役人大小惣代がきっと差止めるように。

 第四条、四月に指示した文政改革に関する棒杭の書替をまだしていない村があったら早速書替えること。

 第五条、関東取締出役廻村の道案内は今までは村から一人差出していたが、一人では不足だからいま一人増すように。また道案内人は下役のものではなく、村の主立った者を出すように。

 第六条 略。

これでわかるように、文政度の改革での申し渡しを強め、とくに悪党で手に負えぬときは、打ち殺してもよいとしているところに、混乱した幕末の世情がよくあらわれている。