なお幕府は安政六年(一八五九)十二月以来関八州での酒造高を鑑札高の半分にするよう指示してきたが、幕末非常の事態に備えて非常備蓄米の手当をする必要があり、そうすれば米価が上昇して庶民を困らす可能性があるからというので、あらためて酒造を三分の二減の三分の一造りにするからというので、関八州取締出役を通して、酒造人からそれに対する請書を差出させている。その請書の形式は次のようなものである(「伊藤家文書」)。
御請書
一、酒造米高
此三分一造高 支配 誰領分 知行 何国何郡何村 誰
一、酒造米高
此三分一造高
―― ―― 誰
右者今般、酒造三分一造被仰出候ニ付、当組合之内、酒造人共取調候処、書面之通御座候、
尤御廻状を以被仰渡候御趣意之趣、逸〻承知奉畏候、依之御請書差上申処如件、
年号月日
右酒造人 誰
村役人惣代 名主組頭歟 誰
右酒造人 誰
村役人惣代 名主組頭歟 誰
誰支配領分知行歟
何国何郡何村 寄場役人惣代 誰
同 同 大小惣代 誰
関東御取締
御出役中様
なおこのような請書を差出させると同時に、「近頃無鑑札で濁酒を多量につくりこんで商売にしている者があるやに聞いているので、今回酒造高を三分の一に減じた機会に、そのような者があれば組合内でやめさせ、万一やめない者があれば、その旨訴え出ること」を命じるとともに、酒造人の鑑札高を組合ごとに帳にまとめて、八月十日までに品川宿の出張先まで差出しを命じている。
組合村々では、相互に自分の村には酒造人はいないこと――もちろんおればその旨――および濁酒を試造している者がおれば、それを差止める旨の一札を出しあって、この触を厳重に守るべき旨を誓いあった請書を交わしあっている。