品川区地域で現在みられる最も古い年貢関係史料は、下蛇窪(へびくぼ)村の延宝八年(一六八〇)十一月十五日の「申歳下蛇窪村御年貢可納割付事」(「伊藤家文書」)である。そのほかの村では安永四年(一七七五)十一月五日の谷山(ややま)村の「未歳御年貢可納割付事」などが古い方で、その量も他地域と比べていちじるしく少ない。
つぎに年貢関係史料は、連続性に大きな意味があるのであるが、(1) 下蛇窪村に年貢免状が延宝八年から明治四年(一八七一)まで、また年貢皆済目録が寛政五年(一七九三)から天保十五年(一八四四)までほぼ連年、(2) 南品川宿に寛政五年からかなり断続的であるが慶応二年(一八六六)まで、(3) 利田新地(かがたしんち)のものが天保六年(一八三五)から文久二年(一八六二)まで、かなり連続的に存在するほかは、まとまったものを見ることができない。しかし下蛇窪村のものは近世初期のものを欠くとはいえ、また虫食いのために解読不能なものも含むとはいえ、完全に都市化した東京都区内のものとしては、珍しく量的にも豊かであるので、主としてこの史料(「伊藤家文書」)を中心に書いてみたい。