下蛇窪村の定免

541 ~ 544

下蛇窪村で定免がはじまるのは享保十年で、以後定免年期は異なるが、幕末明治までそれが続く。定免に関する表をつくると別表のようになる。最初は同十二年までの三ヵ年、以後寛政四年(一七九二)まで五ヵ年期の定免が、宝暦六・同七年の二ヵ年を除いて十三回続いている。宝暦六・同七年ともに、年貢米・永ともその前の五ヵ年の定免期間と、またそれに続く五ヵ年の定免期間のものと全く同じであるので、何故このように一年ずつ切離さなければならなかったのかわからない。また寛延元年(一七四八)から同三年までの分は、どの年貢免状にも「当辰ゟ申迄五ケ年定免」としながら、実際は寛延元申年から、同三午年までの三年で終わって、宝暦元未年(一七五一)から次の定免年期に入っている。

 定免年期が五ヵ年から十ヵ年に移る中間に、寛政五・六・七年の単年期定免の時期がある。たとえば、寛政五丑年のものは、年貢免状の後書きのところが「当丑壱ケ年定免」となっており、寛政六寅年分は「当寅壱ケ年定免」、寛政七卯年分は「当卯壱ケ年定免」と書かれているので、これは明らかに単年期定免であるが、この間のものはその前の五ヵ年定免期間(天明八年より寛政四年)のものと、年貢米・永ともにまったくかわらないので、なぜ単年期定免になったのかわからない。

 単年期定免が寛政五・六・七年と三年続いたあとの寛政八年(一七九六)から一〇ヵ年期定免の時代となり、以後寛政八年より文化二年(一八〇五)まで、文化三年より文化十二年(一八一五)まで、文化十三年より文政八年(一八二五)まで、文政九年より天保六年(一八三五)まで、天保七年より弘化二年(一八四五)まで、弘化三年より安政二年(一八五五)まで、安政三年より慶応元年(一八六五)までとなり、最後が慶応二年より明治八年(一八七五)までとなっているが、実際には明治四年で下蛇窪村の年貢免状は終わりになっている。

 この期間は文化七年に取永が三五・五七九貫から三五・五九九貫へ、文政八年に同様取永が三五・五九九貫から三五・六四四貫へ、さらに文政十二年に三五・六四四貫から三五・九九九貫に、また天保十四年には取米が二四・九五八五石から二五・三六一九石へ、取永が三五・九九九貫から三六・〇五一三貫へ、また嘉永元年(一八四八)には取米が二五・三七石から二五・三九二石へ、さらに嘉永六年には取米が二五・三九二石から二五・四四四石へ、取永が三六・〇三一三貫から三六・一〇三七貫へというように定免期間中に取米・永が、かなり頻繁に増加している。

第30表 下蛇窪村定免期間書上帳
期間 年季 取米 取永 定免切替ニツキ引上高 備考
     石      貫
享保10年 3ケ年 20.787 33.458
享保12年
享保13年 5ケ年 22.324 37.887 +1石537 享保13年(田畑),享保16年(畑)破免引.
享保17年 +4貫429文
享保18年 5ケ年 22.324 37.887 ±0 享保19年(田畑)破免引
元文2年
元文3年 5ケ年 21.663 35.579 -0.661石 寛保2年(田畑)破免引.
寛保2年 -2.303貫
寛保3年 5ケ年 21.663 35.579 ±0
延享4年
寛延1年 5ケ年(3ケ年) 24.912 35.579 +3.249石 年貢免状には「当辰より申迄五ケ年定免」としておりこの通りであると辰(寛延1)から申(宝暦2)まで定免でなくてはならぬが,実際は寞延3年で終わり,宝暦1年より次の定免が始まっている.
寛延3年
宝暦1年 5ケ年 24.912 35.579 ±0
宝暦5年
宝暦6年 24.912 35.579 ±0
宝暦7年 24.912 35.579 ±0
宝暦8年 5ケ年 24.912 35.579 ±0
宝暦12年
宝暦13年 5ケ年 24.912 35.579 ±0
明和4年
明和5年 5ケ年 24.912 35.579 ±0 明和7年(田)・明和8年(田)破免引.
安永1年
安永2年 5ケ年 24.912 35.579 ±0
安永6年
安永7年 5ケ年 24.929 35.579 +0.017石
天明2年
天明3年 5ケ年 24.934 35.579 +0.005石 天明3年(田),天明6年(田)破免引.
天明7年
天明8年 5ケ年 24.939 35.579 +0.005石
寛政4年
寛政5年 1ケ年 24.939 35.579 ±0
寛政6年 1ケ年 24.939 35.579 ±0
寛政7年 1ケ年 24.939 35.579 ±0
寛政8年 10ケ年 24.951 35.579 +0.012石
文化2年
文化3年 10ケ年 24.956 35.579 +0.005石 ※文化7年に畑屋敷成のため取永が20文増
文化12年 ※(35.599)
文化13年 10ケ年 24.9565 35.599 +0.0005石 文政4年(田),文政8年(田)破免引.
文政8年 ※(35.644) ※文政8年に畑屋敷成のため取永が45文増
文政9年 10ケ年 24.9575 35.644 +0.001石 天保4年(田)破免引.
天保6年 ※(35.999) ※文政12年(1829)勘定方吟味,本免永355文引上げ
天保7年 10ケ年 24.9585 35.999 +0.001石 天保7年(田),弘化2年(田)破免引.
弘化2年 ※(25.3619) ※(36.0313) ※天保14年に403・4合,32.3文増
弘化3年 10ケ年 25.37 36.0313 +0.0081石 ※1.嘉永4年に.
※1(25.392) ※2.嘉永6年に.
安政2年 ※2(25.444) ※2(36.1037)
安政3年 10ケ年 25.452 36.1037 +0.008石
慶応1年
慶応2年 10ケ年 25.46 36.1037 +0.008石 註 下蛇窪村の免状は実際には明治4年で終わりになっている.
明治8年

註 この表には弘化2年(1845)新田として高に追加された0.746石分1反3畝歩の土地の年貢は入っていない.