破免

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定免法というのは一定期間、その年の豊凶にかかわらず、定められた年貢を納入するという法であるが、いくら定められた期間は、その額だけ納入するといっても、現実にひどい凶作で、納入が不可能なことがある。こんなときに一時的に定免の扱いを破棄して、検見によって納入年貢量を決めることを破免(はめん)という。

 この破免は凶作であればかならず実施されるというものでなく、一定の規準があった。幕府が天領で最初に定免法を採用することにふみ切ったのは前述のように享保七年であるが、このときの触にすでに破免の規定が入っている。それによると、幕府が定免期間中に破免を認めるのは、一国一郡にもおよぶほどの大凶作で、しかも村民全員が検見を願い出た場合、となっている。一国一郡にもおよぶほどの大凶作という表現がたいへんあいまいなうえ、一村全員が残らず検見を願い出る、という条件もたいへんきついので、これでは事実上破免は不可能であったろう。

 そのためか享保十二年に一歩後退して、一村限りでも五分(五割)以上の損毛があった場合は、勘定所に相談のうえ、引き方を決めるとの規定を出している。そして翌十三年には五分(五割)以上というのを四分(四割)以上と条件を切りさげている。ただしこの場合は無条件に五分を四分に引き下げたのでは百姓に対してたいへん甘い扱いになるので、この条件を適用するのは、その村が其村相応の年貢を出すことを承知した場合に限るとしている。ここで幕府が其村相応の年貢というのは、五公五民の年貢率のことを意味しており、その線に到達するまでは、できるだけ定免年期(期間)を短くし、年期切替えごとに、できるだけ年貢量をせりあげるよう、代官たちに指導してきた線である。

 このように幕府は破免条項は若干緩和しつつも、ともかく定免は百姓の得になるという主張を軸に年貢引き上げに努力するが、享保十九年にいたり、モデル村落をつくって、厳密詳細な百姓の収支計算をした結果、

 (イ) 定免の場合、いままでは四分(四割)以上の損毛があった場合は破免していたが、今後は三分(三割)以上と条件をあらためる。ただしそのかわり今後は夫食貸付をおこなわない。

 (ロ) たとえば定免年季が五ヵ年であって、そのうち三~四ヵ年も三分(三割)近い損毛があって、百姓がたいへん困っている場合は破免を考える。

 (ハ) 其村柄不相応に高い年貢を命ぜられている村があれば、それが定免年季内であっても、破免検討を考慮する、ということに改め、この規定が以後幕末まで用いられている。では下蛇窪村の場合はどうなっているだろうか。以下破免になった年と、その年の取高を示してみよう。

 

○ 享保十三年 田畑とも

 二二・三二四石―→一〇・五四二石

 三七・八八七貫―→三〇・八五七貫

○ 享保十六年 畑

 三七・八八七貫―→二〇・四八二貫

○ 享保十九年 田畑とも

 二二・三二四石―→一四・二二一石

 三七・八八七貫―→二二・八九七貫

○ 寛保二年  田

 二一・六六三石―→一〇・一四七石

○ 明和七年  田

 二四・九一二石―→一二・〇三五石

○ 明和八年  田

 二四・九一二石―→一〇・三七五石

○ 天明三年  田

 二四・九三四石―→一三・三四石

○ 天明六年  田

 二四・九三四石―→一五・一〇四石

○ 文政四年  田

 二四・九五六五石―→八・一一三石

○ 文政八年

 二四・九五六五石―→一五・七三六石

○ 天保四年  田

 二四・九五七五石―→一四・九二五石

○ 天保七年  田

 二四・九五八五石―→四・〇八五石

○ 弘化二年  田

 二五・五九二九石―→一七・九石

 

 上の数字が定免によって本来とることを決められていた額、下の数字が破免検見の結果その年の年貢量として決定された額である。享保十年定免が始まってから明治四年に終わるまでの一四七年の間に、破免検見取となったのは全部で一三回である。

 二四・九一二石の米を定免で申し渡されながら、一〇・三七五石しか納めていない明和八年(一七七一)をはじめ、破免になっている年は相当大きな凶作であったと考えられるが、残念ながら下蛇窪村には、それを具体的に示す史料がない。そのため参考までに天保七年(一八三六)の南品川宿の場合を「田方内検見帳」(立正大学蔵「利田家文書」)からみてみよう。なお下蛇窪村の場合は、天保七年は二四・九五八五石と決められていて、納めたのは四・〇八五石である。

 第31表 天保七年南品川宿田畑作柄表
石盛 1合5勺 1合 5勺 青立 皆無 合計 此高
上田 13 4畝10 26畝03 48畝23 75畝16 77畝25 232畝17 30畝234
中田 11 56.18 86.16 79.28 354.21 158.28 736.21 81.307
下田 9 108.15 77.15 79.04 665.09 49.27 990.10 89.130
下〻田 7 0.12 32.13 32.25 2.298
上畑 10 2.03 3.02 5.05 0.517
中畑田成 8 1.02 3.09 6.18 11.21 22.20 1.813
下畑田成 6 8.11 8.11 0.502
下〻畑田成 4 5.23 28.12 44.05 1.767
此籾 7石6725 6石178 3石499

 

 上の表の見方はたとえば上田二町三反二畝一七歩の場合、石盛(こくもり)は一三だから、一反に玄米一石三斗収穫のはずで、これを籾にすると五合摺として二石六斗となり一反は三〇〇坪だから坪刈をすると籾八・六六六合あるのが正常ということになる。ところが一合五勺が四畝一〇歩、一合が二反六畝三歩、五勺が四反八畝二三歩、青立(あおだち)(穂が実らず青く立ったもの)が七反五畝一六歩、穂もなにもないのが七反七畝二五歩あったということになる。