問屋の補助役としては、前に述べたように年寄がいる。品川では、南北両宿と歩行新宿に一人ずつ、計三名がいて、交代で問屋場へ詰めている。その下に帳付という書記が各宿に二名ずつ、計六名いて、これも交代で勤務する。事務的なことはすべて帳付が処理するので、責任が重い。問屋場では、前の宿から馬や人足で運んできた荷物を受取り、それを自宿の馬や人足に運ばせるが、その割当てをするものが馬指および人足指(人足宛番(あてばん))である。
問屋や年寄は宿役人といわれ、宿内の旧家や富裕な者が勤めるのが通例であるが、帳付以下の下役はかならずしもそうではなく、その給料を主要な収入としている。天保十一年の南品川宿の「諸入用勘定帳」によると、問屋の役料は七両、年寄は六両、帳付は七両ずつ、馬指は六両ずつである。ほかに人馬賃銭割増取立方世話料として、問屋は両人で四両二分、帳付六人・人馬指八人で金二一両となっている(資二三七号)。
帳付や人馬指などの下役の者は、これだけでは生活できないので、前述のように余業を営む者もいたが、安政五年(一八五八)の宿方の申合議定では、下役の者が、大名などが江戸府内から人馬で東海道へ付け出す荷物のうち、馬につける荷物は府内の馬持の下請をし、人足荷物は直接請負をして、その利益を配分することにしている。馬荷を直接請負にできないのは、江戸府内の馬稼ぎは府内の馬持の特権となっていたからである。