問屋場の経費

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問屋場には、宿役人から下役の者まで毎日出勤して事務をとり、多数の人馬をさばき、宿泊や通信のことまで取り扱うのであるから、諸給与を除いても、それに相応した経費がいる。古い時代のことはわからないが、安永三年(一七七四)に代官伊奈半左衛門の役所へ願い出して、役人が出張して取調べ、伝馬・歩行役および往還諸入用を取りきめたことがある。それによると、往還諸入用として年に金八〇両とし、これを三ツ割りにして、南北両宿と歩行新宿とで、金二六両二分と銀一〇匁ずつ出金することになっていた。しかし、その後しだいに出費が多くなったが、歩行新宿の出金はそのままで、超過分は南北両宿で負担したので、安政三年(一八五六)になって両宿の高持百姓らが、八〇年前とくらべれば、諸入用は一倍半になって両宿の出金が多いから、費用を三宿平均に分担するように、歩行新宿に交渉することを両宿の宿役人に願い出た。この結果は、利田安之助が南品川宿の問屋になった後にまとまり、同五年十二月に三宿間で協定ができた。それによると、先の年間金八〇両の支出項目を決め、それ以外のものは三宿で分担することにした。すなわち、

一 金六〇両  問屋場で使用する紙・蝋燭・油・炭代、一日に銀一〇匁の見積り。

一 金八両   問屋場で入用の蓙(ござ)・莚(むしろ)・糸立・油紙・高張(たかはり)・小田原挑灯(ちょうちん)・宿駕籠仕立代、正月松餝(かざり)の費用も含む。

一 金一二両  帳付・人馬指の御用挑灯・同筆墨代、そのほか問屋場で使用する土瓶(どびん)・茶碗・桶・盥(たらい)の類、小道具・小買物一式、また神社御札料・煤払(すすはらい)・五節句・日待(ひまち)の入用もこのうちで払う。

 これを三宿で割れば金二六両二分と銀一〇匁になることは前と同じである。この項目のなかのものは、たとえ超過しても南北両宿で引きうけて歩行新宿には出金をさせないが、このほかの往還入用はすべて三宿割りにすることにしたのが、前と異なるところである(『品川町史』上巻四八〇ページ)。これらは、問屋場の執務上の経費であって、宿全体の費用ははるかに大きなものがあるが、それは後述する。