伝馬の使用者

620 ~ 624

宿駅は人馬の継立をもっとも重要な任務とすることは、家康の朱印状でも明らかであるが、具体的にはどういうことになるのか。家康およびその後の将軍は、公用旅行者に対して、一日に使役できる人馬の数を記した朱印状を与える。通常それには出発地と目的地およびその用務が記されている。その朱印状を携帯した旅行者は、宿の問屋場においてその朱印状を呈示すれば、問屋場ではあらかじめ渡されている朱印状と対照して、その朱印に誤りがないときには、それだけの人馬を無賃で提供しなければならない。慶長七年に家康は、もし伝馬朱印状を持参しないで、伝馬を出させようとする者があれば、郷中の者がこれを打ち殺すことを命じ、打ち殺すことができなければ、その者の主人の名を聞いて訴え出るように命じている(「御嵩村旧記」)。この文書は中山道の御嵩(みたけ)宿に残されているものであるが、他の宿に対しても同様のことを伝えたと考えられる。いずれにしても、朱印状を携行していなければならなかった。

 伝馬の朱印によって人馬の使用が許されるものは、のちになると一定の場合に限られるようになった。享保八年(一七二三)現在ではつぎのごとくである。

一、公家衆                   一、御門跡方

一、京都え御使                 一、勢州(伊勢神宮)え御代参

一、大坂御城代替り之節引渡           一、大坂御目付

一、駿府御目付                 一、宇治御茶御用

一、二条大坂御蔵奉行仮役            一、国々城引渡并巡見御用

一、諸国川々其外御普請等見分御用        一、日光御門跡并役者・医師日光え往来、但御門跡より京都え御使

一、日光(東照宮参拝)御名代          一、金地院京都より往来

一、品川東海寺輪番               一、三州滝山寺

一、京都知恩院                 一、増上寺より知恩院え使僧

一、相州藤沢遊行上人              一、備後御畳表

一、野馬御用                  一、御鷹御用

一、御簾御用

 これによれば、旅行者にかぎらず宇治の茶・備後の畳表など、将軍家の必要な品物も含まれている。伝馬の使用は朱印のほかに、幕府の役人の発行する証文でも許されることになった。慶安四年(一六五一)の定では、老中・京都所司代・大坂町奉行・大坂城番・駿府町奉行であったが、享保八年の道中奉行の書上によると、勘定奉行が加わっており、発行する場合は次のごとくである。

老中の証文

一、御状箱・御用物品々

  京・大坂・長崎・駿府・勢州・尾州・紀州・堺・相州・豆州・日光・佐州

一、国々え御奉書・御用物            一、尾州より鮎御鮨

一、三州より海鼠(なまこ)腸          一、和州より葛

一、石州より蜜                 一、駿州徳音寺長持

一、勢州御代参之節御箱             一、京都え上使之節長持

一、京都え進献物御用              一、日光御名代之節御樽・御箱

一、水戸殿鷹野之節上使御箱           一、房州野馬御用

一、日光え之御神服御用             一、同所え御畳表

一、越後并会津臘御荷物             一、遠国見分御用

一、仙台・南部より参候御馬           一、遠国御普請長持

一、松前より参候御鷹御用            一、所々え参候盗賊改方与力・同心

一、京都智積院(是は船川渡之所々無滞旨之御証文)一、初瀬小池坊(同上)

一、佐州より御金荷物              一、上州太田金山松茸

一、諸国囚人并御仕置者

京都所司代の証文

一、御状箱・御用物               一、京都町奉行より御勘定奉行え状箱并玉虫左兵衛手代下り候節長持

一、二条御蔵奉行長持              一、知恩院使(是は船川渡之所々無滞旨之御証文)

一、近衛殿使者(同上)             一、黄檗山(同上)

一、醍醐山(同)                一、八幡山善法寺(同)

一、八幡山豊蔵坊(同)             一、西八条大通寺(同)

一、土御門治部卿巳之日之祓(同)        一、日光例幣使(同)

一、上賀茂献上之御葵(同)           一、阿蘭陀人(同)

大坂城代の証文

一、御状箱其外御用物品々            一、大坂御蔵奉行長持

駿府城代の証文

一、御状箱并熟瓜・茄子・白瓜・竹子・林香(林檎)・山椒

勘定奉行の証文

一、御上鳥并鷹匠御用              一、御猪狩御用

一、御薬草国々見分并持送御用          一、所々川々普請并見分御用

一、日光より参候御巣鷹御用           一、日光今市・房州峯岡山・下総国佐倉・小金御馬御用(駅肝録)

このほか、後には道中奉行や遠国奉行も証文発行者になっている。

 朱印状や証文は目的別に発行されるわけであるが、その区分は明確ではなく、同一の人が朱印状と証文とを与えられることもあった。そして、朱印状や証文によって認められた人馬は無賃であった。幕府の布達などに伝馬とあるのはそれを指して、賃銭を払う駄賃馬と区別している。そのために、近世の宿場や村では、「おてんま」というのは、無賃で使役されるもの一般をさすことになり、道路工事などにかり出されるときにも、「おてんま」と称していた。