朱印・証文の人馬は江戸伝馬町から差立てるのは当然であるが、それに付随した江戸付出の御定賃銭の人馬も伝馬町で扱う。しかし相対人馬は出さない。品川・板橋・千住・内藤新宿では、先触があって、三伝馬町から付出した分は継合うが、その他の相対雇の分は継合わない。私用で諸家の家来が帰府したときに、板橋・千住・内藤新宿では、先触があれば持込人馬も継合をするが、品川宿では、すべて相対雇の馬は、前宿の馬にそのまま付通しをさせ、人足は継合をして、持込にする例であった。
武家の家来が、問屋場へ行き掛って、人馬や駕籠人足などを申し付けたときには、品川宿では、登り荷物はその馬をすぐに付通しにし、人足は継合をする。板橋・千住・内藤新宿では、人馬ともに相対で取計らい、人足二、三人、馬一、二疋ぐらいまでは行き掛かりでも継合をする。
諸大名が参勤交代や湯治などで御暇が出たときの相対雇の人馬は、品川宿では人足は継合うが、付出しの馬はそのまま付通しにする。もっとも大名自身の小荷駄(こにだ)馬は継合をする。板橋・千住・内藤新宿は、相対雇人馬も自分小荷駄馬とも相対で継立てをする。要するに品川宿では相対賃銭の馬は継ぎ立てなかったのである(「委細書付録」)。