問屋場の組織はすでに記したが、問屋場は、宿の責務をすべて処理する場所である。宿の任務は大別すれば、運輸・通信・休泊である。運輸と通信とのためには人馬が用意され、休泊のためには旅籠屋・茶店等がある。先触によって必要人馬数が判明すれば、宿および助郷の人馬を集めておき、荷物の到着次第に人馬指が配分をする。帳付はそれを記帳する。賃銭はその時々に支払うのが原則であるが、繁忙のなかで誤りなく渡すことは困難であるから、木札などを渡しておいて、のちに清算することもある。
通信は幕府公用の継飛脚(つぎびきゃく)が中心で、そのためには特定の人足を用意しておく。このことは後述する。休泊は、江戸を出発した者は品川宿で宿泊することはほとんどないから、昼休または小休になる。しかし江戸に入る者はこの宿でかならず宿泊または休憩をして、服装等を改めるのが例であった。宿泊の場合には、もし大名・公家などであれば宿割などがむつかしいが、品川宿では、大通行の場合には宿泊することはまれであった。
しかし大名なども江戸入りのときには休息をするので、その用意を必要とする。大名などは本陣に休息するのが原則であるから、その準備をする。宮・門跡・公家・大名などの通行のときには、宿役人が案内をし、杖払を出し、人馬をよけさせる。皇族・朝鮮信使・琉球人の往来などのときは、道路を清掃し、盛砂(もりすな)をし、脇道から人馬が出ないように注意をする。
荷物の継立、何十人、何百人に及ぶ馬士や人足の出入、すべては戦場のごとき繁雑さであるから、宿役人や下役は休む暇がないのである。品川宿は東海道の元宿(本宿)とか口宿といわれたが、五街道の各宿のなかで最も繁忙かつ複雑な宿場であった。