品川宿の住人

749 ~ 750

天保十四年(一八四三)の調査によれば、品川宿の町並は南北に一九町四〇間(約二、一四五メートル)で、高輪町境から大井村境まで残らず家並であった。人口は六、八九〇人、うち男が三、二七二人、女が三、六一八人であるが、寺社門前の人別は町奉行支配で別である。家数は一、五六一軒であるが、当時としては大きな集落であった(資一七二号)。家数では、東海道五三宿中で、伏見の六、二四五、府中(駿府)の三、六七三、大津の三、六五〇、熱田の二、九三四、桑名の二、五四四、浜松の一、六二二、岡崎の一、五六五に次ぐものである。

 このうちで、宿場に直接に関係する職業には、食売旅籠屋九二軒、平旅籠屋一九軒、水茶屋六四軒、煮売渡世四四軒、餅菓子屋一六軒、蕎麦屋九軒などがあり、宿場風景を如実に示している(産業の部参照)。

第39表 品川宿の幕末の職業 (17)
種別 東側 西側 種別 東側 西側
旅籠屋 六七 四四 一一一 そばや
水茶屋 二〇 一七 三七 いもや
あら物や 二七 三四 水菓子や
煮うりや 二二 三一 とりや
酒屋 一二 とうふや
居酒屋 一一 塩物や
餅や 八百屋
たばこや 糸屋
すしや 菓子屋
うなぎや 呉服や
かまぼこや 太物や
めしや 足袋や
さとうや 油や
乾物や 提灯や
薬種や 蝋燭や
薬湯 紙や
小間物や 鉄物や
下駄や 瀬戸物や
雪駄や 薪屋
炭や らう竹や
桶や かごや
塗ものや 質や 一一
木具や 床や
種物や 医師
仕立や 手習師匠
古着や しもたや
人形や