寛政六年の収支勘定

783 ~ 784

品川宿の財政を示す古いものは残っていないので、寛政六年(一七九四)のものからいくつかの例を示すことにする。

       収入(二分は永五〇〇文、二朱は永一二五文のごとくにして表示する。)

  両   文

三一二・五〇〇   伝馬役屋敷役金

  (七九・四%)

伝馬役屋敷一四〇軒半(内七三軒南品川宿六七軒北品川宿)のうち馬役七〇軒(南北両宿三五疋ずつ)を引き、残りから、南北両宿の名手・問屋・年寄・往還払方の四人分を役引とし、残り六二軒半。一軒に馬一疋のつもりとして役金一年に五両ずつ。

八一・二五〇    歩行役屋敷役金

  (二〇・六%)

歩行新宿にある歩行役の屋敷九八軒のうち人足役七〇軒を引き、残りから歩行新宿名主二人・往還払方一人の計三人分を役引とし、残り二五軒。一軒に人足一人のつもりとして役金一年に三両二五〇文ずつ。

   両   文

計三九三・七五〇

       支出

  両

八〇・       南北問屋場諸入用

  (二六・五%)

一五・       北品川宿問屋場地代

  (五%)

四二・       三宿の帳付給分       一人に七両ずつ、六人分。

  (一三・九%)

三六・       南北宿の馬指給分      一人に六両ずつ、六人分。

  (一一・九%)

一〇・       歩行新宿の人足宛番給分   一人に五両ずつ、二人分。

  (三・三%)

二五・       南北御状箱継所年中諸入用

  (八・二%)

一四・       南北御状箱賄人給分     一人に七両ずつ、二人分。

  (四・六%)

三〇・二五〇    御状箱持人足給分      南品川宿にて八人半、北品川宿にて二人半、計一一人を勤めるところ歩行役屋敷がないので、伝馬役金のうちから出す。一人につき一年に二両七五〇文ずつ。

  (一〇%)

二五・       朱印・証文人馬手当銭

  (八・三%)

一〇・       不足馬買上銭 (南北両宿の役金より出す)

  (三・三%)

一五・       不足人足買上銭(歩行新宿の役金より出す)

  (五%)

   兩   文

計三〇二・二五〇

(『品川町史』中巻一六〇ページ)

 残りが九一両永五〇〇文になる。これは地方(村方)の諸入用にも使い、臨時の入用にも支出する。過不足は年々相談して取り計らう。最も多いのは問屋場の諸入用とそこに働く人の給与で、六〇%を超える。