ひび建て

863 ~ 866

海苔養殖は夏の間の麁朶ひびづくりにはじまる。麁朶ひびは楢・槻(つき)・樫・椚(くぬぎ)・榛(はしばみ)等で作られた。楢や槻は高価で、ふつうは樫や椚が使用された。しかし、榛は枝がもろく、椚も皮目が悪く適材ではなかったという。幕末ころから孟宗竹が多く使われた。麁朶は近郷のほか、相模・上総・下総から船で送られてきた。寛政十年(一七九八)の「書上」によると、麁朶代金は一把につき三〇文くらいであった。一把の麁朶から葉をこき、根をとがらして一五、六株くらいになったという。長さは水深に応じて四、五尺から一丈四、五尺に調節された。

 ここで『大井鑑』所載の海苔稼ぎの図を参照されたい。イ図は葉をおとしたそだの根をとがらしてひびを造っているところである。

 つぎに、ひびを建てるのであるが、品川ではだいたい秋の彼岸前後、汐時をみて建てられた。ロ図はひびを建てているところである。船で運んだひびを振り棒(ひびきりともいう)という道具を使用して建てている様子が描かれている。ふり棒を土中にもみこみ、穴をあけて、棒をぬくと同時にひびの根元をさしこむのである。水が深いときには、のり下駄というのをはいて、ふり棒を使用した。のり下駄はふつう片足一貫目(三・七五キロ)で四貫目の石につけるので五貫目となり、両足では十貫目の重さになった(第二〇四図)。


第202図 海苔ひび立ての図(「東海道名所図会」)


第203図 海苔養殖製造過程の図(「大井鑑」)

 養殖場は長さ五〇間横一尺を一作と定め、一作につき、麁朶ひびを平均三百株ほどずつ建てた。

 宝暦七年の大井村・海晏寺門前・品川寺門前・南品川宿のひび建てに要した費用は、椚麁朶六、五六二束五分の購入代金が鐚一三六貫七一八文(一束につき二〇文)麁朶をこしらえる人足にはらった賃銭が六八貫三五四文(人足一、九一三人七分、一人につき六〇文)ひび建ての手間賃が、二九貫二九〇文(人足四六八人七分五厘、一人につき六〇文)で、合計二三四貫三六六文、金に直して五五両三分永五二文一分になっている(『品川町史』中巻三三四ページ)。


第204図 のり下駄(品川図書館所蔵)