海苔養殖が産業として定着し、営業税としての海苔運上を納めるようになったのは延享三年(一七四六)からである。はじめは軒別割であったが、宝暦七年(一七五七)以降は、養殖場を長さ五〇間・横三〇間を単位として一ヵ所を定め、箇所割となった。この箇所割を決定するため海苔場見分がおこなわれたが、このとき南品川猟師町の海苔場所が発見され、これまで運上を差出さずにいたことをとがめられた。そこで魚猟稼ぎは夏中だけで、冬になると猟ができないし、魚猟運上は差上げているし、難船・破船の浦役も勤めている。海辺で渡世している者どもでもあり、家の前の浜辺に少々ずつひびを建てて海苔をとっているくらいなので、運上等を差上げなかったのだと弁明したが、猟師は本来魚猟稼ぎだけで渡世すべきであるのに、海苔ひびをたてて冬中の稼ぎにしているのだから、あきらかに外稼ぎである。また寺社門前さえ運上を差出しているのだから、外の村も同様差出すべきである。今年から外の村と同様運上を差上げよという命令であった。そして長さ五〇間・横三〇間一ヵ所の運上を、海晏寺門前と同様一ヵ年に永七〇六文五分ずつ納めることになり、当丑年(宝暦七年)より来る未年(宝暦十三年)まで七年季と定められた。
南品川宿・海晏寺門前・品川寺門前・大井村の四ヵ村は一軒につき一〇文ずつの増永を命ぜられた。村々は海苔生産の実態を書き上げて、再三増永御免を願ったが、幕府側が、もし命に服さないならば営業停止にするという厳しい態度で臨んだため、一軒につき七文二分ずつ上納することを約束した。そのときの書上によると、海苔稼ぎをしている家数は四ヵ村で二八一軒だから、増永は二貫二三文二分となる。これまでの分と合わせて四貫四一四文の運上永を納めることになったのである。ただし、軒別割で計算されていたので、箇所割に直して賦課された。第53表は、四ヵ村のひび箇所数・増永分・運上永を示したものである。軒別割から箇所割に直しているので各村とも多少の異同はあるが、総額は変わっていない。一ヵ所につき七〇六文二分四厘で計算されている。第54表は宝暦八年二月の各村別の運上永である。比較してみると、不入斗村が一ヵ所につき三七七文五分二厘ともっとも低く、大森村は六五八文で、大井・品川の方が高い。南品川猟師町は海晏寺門前と同じはずであったのに、もっとも高率の運上永を納めることになってしまった。また各村とも最初は七ヵ年季のつもりで引き請けたのに、五ヵ年季にされてしまった。年季が明けるとまた増税される可能性があり、年季はなるべく長い方が望ましかったのである。ただし、年季内にひびが増加したらただちに申し出て、改めをうけるようにと命ぜられて、請証文を出している。
村名 | ひび箇所数 | 増永分 | 軒別割運上総額 | 箇所割運上総額 |
---|---|---|---|---|
貫 文分 | 貫 文分 | 貫 文分厘 | ||
大井村 | 4 | 1.293.0 | 2.826.0 | 2.824.9 6 |
海晏寺門前 | 1 | 0.324 | 0.706.5 | 0.706.2 4 |
品川寺門前 | 0.5 | 0.158.4 | 0.349.7 | 0.353.1 2 |
南品川宿 | 0.75 | 0.244.8 | 0.531.8 | 0.529.6 8 |
計 | 6.25 | 2.023.2 | 4.414 | 4.414 |
村名 | 箇所数 | 運上額 | 一カ所永 |
---|---|---|---|
貫 文分厘 | 文 分 厘 | ||
大森村 | 15 | 9.87 | 658 |
東大森村 | 6 | 3.948 | 658 |
北大森村 | 5 | 3.292(3.290か) | 658 |
西大森村 | 4 | 2.632 | 658 |
南品川猟師町 | 1 | 706.5 | 706.5 |
不入斗村 | 2.5 | 943.8 | 377.5 2 |
大井村 | 4 | 2.824.9 6 | 706.2 4 |
海晏寺門前 | 1 | 706.2 4 | 706.2 4 |
品川寺門前 | 0.5 | 353.1 2 | 706.2 4 |
南品川宿 | 0.75 | 529.6 8 | 706.2 4 |
貫 文分 | |||
計 | 24.75 | 15.934.3 |
しかし、実際はひびが増加しても申し出たりはしなかった。だから文化八年(一八一一)大森村・糀谷村と羽田村との訴訟で、論所改めをおこなうという通達があって、近辺の村々(南品川宿・同猟師町・品川寺門前・海晏寺門前・大井村)は動揺した。もしついでに検査されて、建て過ぎの箇所を発見されたら、これまで申し出なかったことをとがめられ、大事に至ると判断した五ヵ町村は、相談の結果、年季継続願書とともに、ひびの増し建てを願い出た。この年は享和二年(一八〇二)から十年目で、年季切替の年にあたっていたのである。ひびの増し建ては、五ヵ町村合わせて三ヵ所七分五厘を認めて頂きたい。ついては相応の運上永を上納いたしますと申し出て、先手をとったつもりであった。しかし役人側は「海苔ひびの儀はこの節いたってむずかしく、切替願は追って沙汰する。増し建てについてはとくと評議の上沙汰する」と即答を避けた。そして翌文化九年(一八一二)八月十一日から九月四日まで論所改めがおこなわれた。心配した通り、出入の場所だけでなく大井村・海晏寺門前・品川寺門前・南品川宿・同猟師町まで検査された。出入一件は十二月に至り示談が成立したが、翌年文化十年三月にもひび建て箇所見分がおこなわれ、ようやく海苔運上についての解答が出たのはその年の十月のことである。十月十八日、代官所に呼び出された各村の村役人たちは「もとの改めから数十年を経ているとはいいながら、先年より過分の建て出しになっているのを届けないでいたのは不埓千万である。このたびの改め坪数で、どのような運上増額を仰せつけられようと、減額の願はもちろん上納の遅滞を許さない」と申し渡され、第55表に示したような大幅な運上の増額を命ぜられたのである。たとえば南品川宿と同猟師町は、これまでひび箇所一ヵ所七分五厘について一貫四〇八文六分の海苔運上を納めてきたが、今度ひび箇所一二ヵ所八分五厘四毛を改め出されて、これに対して九貫三一七文九分の運上がかけられ、ひび箇所は合計一四ヵ所六分四毛となり、運上総額は一〇貫七二六文五分になった。ひび箇所は従前の約八・三倍、運上額は約七・六倍である。九ヵ村合計(南品川宿と同猟師町・海晏寺門前と品川寺門前は二カ所で一カ村扱い)を比べると、これまで二七ヵ所七分五厘のひび箇所に対して一九貫三〇三文五分の運上永が課せられていたが、あらたに一三五ヵ所九分三厘九毛のひび箇所を打ち出されて、これに対して八八貫八五四文九分の運上がかけられ、ひび箇所の総計は一六三ヵ所六分八厘九毛となり、運上総額は一〇八貫一五八文四分となっている。ひび箇所は約五・八倍、運上額は約五六倍である。一ヵ所あたりの永は有来分より改出分の方が低くなっている。年季は一〇ヵ年季を希望していたのに五ヵ年季に短縮されている。不入斗村を除く八ヵ村はすでに文化九年に年季明けになっており(文化九年分は以前の割合で一カ年請を命ぜられていた)、不入斗村は年季中であったが、文化十年より九ヵ村いっせいに五ヵ年季を命ぜられたのである。
村名 | 運上総額 | ひび箇所総額 | 有来分運上 | 有来分ひび | 同1ケ所永 | 改出分運上 | 改出分ひび | 同1ケ所永 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
貫 文分 | 所分厘毛 | 貫 文分 | 所分厘 | 文分厘 | 貫文分 | 所分厘毛 | 文分厘 | |
南品川宿 | 10.726.5 | 14.604 | 1.408.6 | 1.75 | 0.804.9.0 | 9.317.9 | 12.854 | 0.724.90 |
同猟師町 | ||||||||
海晏寺門前 | 9.281 | 12.641 | 1.207.1 | 1.5 | 0.804.7 | 8.073.9 | 11.141 | 0.724.7 |
品川寺門前 | ||||||||
大井村 | 25.515.9 | 34.765 | 3.219. | 4 | 0.804.75 | 22.296.9 | 30.765 | 0.724.75 |
不入斗村 | 1.647.5 | 3.745 | 1.166.3 | 2.5 | 0.466.52 | 0.481.2 | 1.245 | 0.386.52 |
東大森村 | 22.015.7 | 32.071 | 4.509. | 6 | 0.751.5 | 17.506.7 | 26.071 | 0.671.5 |
北大森村 | 18.345.8 | 26.725 | 3.757.5 | 5 | 0.751.5 | 14.588.3 | 21.725 | 0.671.5 |
西大森村 | 14.676.7 | 21.380 | 3.006. | 4 | 0.751.5 | 11.670.7 | 17.380 | 0.671.5 |
糀谷村 | 5.949.3 | 17.758 | 1.030. | 3 | 0.343.33余 | 4.919.3 | 14.758 | 0.333.33 |
計 | 1ケ所平均 | 1ケ所平均 | ||||||
108.158.4 | 163.689 | 19.303.5 | 27.75 | 0.695.620余 | 88.854.9 | 135.939 | 0.653.638 |
このとき、南品川宿ほか四ヵ村は、ひび箇所に上中下の等級をつけて賦課してほしいと願い出て許可されている。上箇所は一ヵ所につき永一貫二〇〇文、中箇所は永八〇〇文、下箇所は四〇〇文見当で納め、規定の運上高に不足する分は下箇所で増減し、さらに下々の箇所は下箇所の半分を上納して、調節したのである。詳細は第56表に示した通りである。一口になっていた南品川宿と同猟師町・品川寺門前と海晏寺門前も村ごとに、等級によってひび箇所を区別している。
村名 | 上箇所 | 此取永 | 1カ所永 | 中箇所 | 此取永 | 1カ所永 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
箇所分厘毛 | 貫 文分 | 貫 文 | 箇所分厘毛 | 貫 文分 | 文 | |||
南品川宿 | 0.740 | 0.888.0 | 1.200 | 5.2 5 2 | 4.201.6 | 800 | ||
同猟師町 | 1. | 1.200 | 1.200 | 1.0 5 8 | 846.4 | 800 | ||
品川寺門前 | 1.021 | 1.225.2 | 1.200 | 2.7 8 9 | 2.231.2 | 800 | ||
海晏寺門前 | 1.936 | 2.323.2 | 1.200 | 1.8 2 3 | 1.458.4 | 800 | ||
大井村 | 6.062 | 7.284.4 | 1.200 | 11.7 4 7 | 9.397.6 | 800 | ||
村名 | 下箇所 | 此取永 | 1カ所永 | 下々箇所 | 此取永 | 1カ所永 | 永合計 | |
箇所分厘毛 | 貫 文分 | 文分厘 | 箇所分厘毛 | 貫 文分 | 文分厘 | 貫 文分 | 貫 文分 | |
南品川宿 | 1.9 9 0 | 1.096.5 | 551.0 0 | 0.7 5 6 | 0.208.1 | 275.2 0 | 6.394.2 | 10.726.5 |
同猟師町 | 2.9 3 3 | 1.989.5 | 678.1 | 8 7 4 | 296.4 | 339.2 | 4.332.3 | |
品川寺門前 | 1.5 5 4 | 659.5 | 424.4 | 3 6 8 | 78.1 | 212.2 | 4.194 | 貫 文 |
海晏寺門前 | 2.1 5 2 | 1.059.6 | 492.4 4 | 9 9 8 | 245.7 | 246.2 | 5.086.9 | 9.281 |
大井村 | 9.4 1 7 | 6.316 | 670.7 | 7.5 3 9 | 2.527.9 | 335.3.1 | 25.515.9 |
以上の如く、海苔養殖場は田畑と同様な上中下の等級をつけられ、検地に似た測量を受け、貢租ならぬ運上収奪の対象とされたのである。したがって、年季が明けるたびに運上永は増額された(第57表)。記録によると文政十一年(一八二八)と天保四年(一八三三)の年季明けに、一ヵ所につき永二文ずつ増額されている。文政十一年には七年、天保四年には十年に年季延長を願ったが、いずれも効果がなく、五ヵ年季に定まっている。大井村の海苔運上を第58表に示す(「大井町誌」による)が、いずれも五ヵ年季であった。ひび箇所の測量は文化十年以降おこなわれなかったようである。
年季 | 南品川宿 同猟師町 |
品川寺 海晏寺門前 |
大井村 | 不入斗村 |
---|---|---|---|---|
貫文分厘 | 貫文分厘毛 | 貫文分厘 | 貫文分厘毛 | |
文化10~文化14 | 10.726.5 | 9.281 | 25.515.9 | 1.647.5 |
(一カ所永2文増) | (+29.28) | (+25.286) | (+68.53) | (+7.49) |
天保4~天保8 | 10.759 | 9.309.1 | 25.593 | 1.652.5 |
(一カ所永2文増) | (+29.3) | (+25.3) | (+69.5) | (+7.5) |
天保9 | 10.788.3 | 9.334.382 | 25.662.53 | 1.659.999 |
天保9(増額後) | 10.802.9 | 9.347 | 25.697.29 | |
天保14 | 10.817.5 | 25.732.1 | ||
宿6.449 | ||||
猟4.368.5 |
年季 | 東大森村 | 北大森村 | 西大森村 | 7ヵ村合計 |
---|---|---|---|---|
貫文分厘毛 | 貫文分厘 | 貫文分厘 | 貫文分厘毛 | |
文化10~文化14 | 22.015.7 | 18.345.8 | 14.676.7 | 108.158.4 |
(糀谷村を含む) | ||||
文政11~天保3 | 22.015.7 | 18.345.8 | 14.676.66 | 102.209.1 |
(一カ所永2文増) | (+64.142) | (+51.45) | (+42.76) | (+291.95) |
天保4~天保8 | 22.082.4 | 18.401.4 | 14.721.2 | 102.518.6 |
(一カ所永2文増) | (+64.1) | (+53.5) | (+42.8) | (+292) |
天保9 | 22.146.5 | 18.454.9 | 14.706.4 | 102.043.1 39 |
天保9(増額後) | 22.178.6 | 18.481.6 | 14.727.8 | 101.235.19 (不入斗村を除く) |
天保14 |
年季 | 運上額 |
---|---|
貫 文分厘毛 | |
文化10~文化14 | 25.515.9 0 0 |
天保11~天保3 | 25.593 |
天保4~天保8 | 25.662.5 |
天保9~天保13 | 25.697.2 9 |
天保14~弘化4 | 25.732.1 |
嘉永6~安政4 | 25.960.5 3 1 |
安政5~文久2 | 26.82.2 |
文久3~慶応3 | 26.120.4 |
明治元~明治5 | 26.158.6 |
なお、妙国寺門前は御膳海苔も海苔運上も賦課されていなかった。文政三年(一八二〇)八月の「書上」に、「妙国寺の御朱印地で、地先海面に以前より海苔ひびを建てて稼いでいるが、公儀の運上はなく、坪数等の改めもない。ただ妙国寺へ地代を納めている」と述べられている。また天保九年(一八三八)南品川宿・同猟師町が御膳海苔の上納の困難を訴えたなかで、「地続きの妙国寺門前は海苔ひび箇所が一〇ヵ所余りもあるのに、御朱印地なので、地頭へいささかの年貢を出す以外に入用がかからず、南品川宿の小作人は自然同所へ引移り、南品川宿の小作人は追々減って、一人もいなくなってしまった」といっている(八九六ページ参照)。