天保の改革と品川の商業

901 ~ 904

江戸幕府の天保の改革は、江戸と町続きの品川宿にも及んだ。天保十二年(一八四一)十二月には株仲間の停止令が出されれ、「仲間株札はもちろん、すべて問屋仲間・組合などと唱える」ことは禁じられた。これは商品流通を活発化させることによって、物価引き下げをはかった政策で、仲間外商人の直売買を公認し、さらに商品価格とは無関係な湯屋・髪結床の株仲間をも停止せしめ、すべての特権の排除にまで及んだ(芳賀登「天保改革と江戸町人社会」『江戸町人の研究』第一巻)。

 品川宿は前に述べたように問屋商人は少なかったが、質屋をはじめ、湯屋・髪結等は株を立てて独占的に営業していた。しかし、株仲間の解散令によって宿内のすべての株は停止され、質屋は損料貸しの権利を独占できなくなった(八九三ページ参照)。

 一般商品をあつかう小売商人はこれまで直買をしたことによって「御府内」の問屋商人から訴えられることがしばしばであったが、これからは公然と直買ができるようになった。弘化三年(一八四六)十月、南品川宿のものから代官への答申書に「当宿は昔から米穀・薪炭・塩味噌その外どんな品も日用の自分遣いの品は『御府内』の渡世人にかかわりなく、山方・浜方から直買してきた。ただし商品は『御府内』の問屋から仕入れることになっていたが、天保十三年(一八四二)の御改革で、江戸表・在方とも問屋仲間などと唱えてはならないことになり、これまで手がけていない商品も、諸国より自由に取引し、直安に売買することと仰せ渡され、それ以来大坂・兵庫表より入津する米穀・乾物等を少々ずつ、かねて懇意の荷主より直買して、宿内その外へ売りさばいている」(資二六六号)とあるように、直買を許されたことで、品川宿の小売商人はこれまでになく商いがしやすくなった。

 また、幕府は品川宿の風俗取締りを断行し(天保九年の調査によると女髪結渡世一八人、三味線指南五人とあるが、これらは天保十二年から十三年の取締により禁止され、天保十四年の調査では姿を消している)第65表の如く諸物価の引き下げを命じている(資二六五号)。

第65表 品川宿における天保13年3月の物価引き下げ
値下げ前 値下げ後
湯銭 大人 10文 8文
子供 5文 4文
髪結銭 32文 20文
28文
豆腐 1丁 64文 56文
焼豆腐1つ 5文 4文
油揚1つ 5文 4文
損料夜具 蒲団ひと通り 32文 24文
40文 28文
舂米 三斗張ひと臼1斗 上48文 上40文
中40文 中36文
下32文 下28文
蕎麦・うどん 1膳 16文 14文
寿司 8文
4文
五文備餅 4文
水屋 1荷 20文 16文
16文 12文
12文 8文
質屋 刊子1カ月1両につき 銭164文 銀1匁
1分につき 40文 銭32文
2朱につき 24文 20文
1朱につき 16文 12文
銭100文につき 4文 3文
流し月 8カ月 10カ月
大工 手間1人 銀3匁7分5厘 銀3匁
飯料 銀1匁5分 銀1匁2分
鳶手間1人 銭324文 銭300文
駕籠賃 400文~1貫文の場所 24文値下げ
1貫文以上の場所 100文値下げ
足駄・下駄等 100文につき 4文5文値下げ
煙草 100目につき 銭20文値下げ
5匁につき 1文値下げ
材木角物・板 貫小割等 銀100目 銀7匁5分値下げ
酒小売 極上酒1升 248文
 〃 1合 26文
中酒1升 200文
 〃 1合 20文
下酒1升 164文
 〃 1合 16文
下々酒1升 32文
 〃 1合 14文
酢・醤酒1升 164文
〃   1合 16文
〃   1升 124文
〃   1合 12文
水油1升 500文
  1合 50文
塩1升 36文
  1合 4文
味噌560匁 100文
3%~15%値下げ
8%~10%値下げ
薬種 丸薬・散薬 12%引
薬種類4匁 5%~15%引
砂糖 3%引
旅籠銭 1泊 200文

 

 しかし、株仲間停止によって江戸への入荷量はかえって減少し、幕府の必死の引き下げ令にもかかわらず、物価は上昇する傾向にあった。株仲間停止による物価引き下げ策は失敗に終わったのである。とはいえ、直売買が公認されたことは、江戸周辺の在方商人の成長に拍車をかけ、嘉永四年(一八五一)の株仲間の再興にあたって、かれらの存在は幕府に認められ、旧来の問屋商人たちと平等にあつかわれることになった。品川宿とその周辺の村々においても、これらの商人が成長しつつあったと考えられるが史料が乏しくその姿をとらえることができないのは残念である。