末寺のなかの一つの形態として塔頭がある。塔頭は塔中とも書き、要するに一般の末寺とは異なり、大寺の山内に本寺を中心として、これに密接して建立されている寺院である。
塔頭はいろいろの契機で創設されるが、おおよそ、つぎのように分けられる。
1 大寺の住職が山内に隠居して創立したもの
2 大寺の有力檀徒が創立したもの
品川区内の寺院で江戸期に塔頭を付随させていた寺院は、
臨済宗 東海寺
法華宗什門流派 妙国寺・本光寺
浄土宗 法禅寺・願行寺
以上の五ヵ寺で、いずれも品川宿に集中しているのは、末寺をもつ寺と同様である。
塔頭の数は東海寺が最も多く、江戸後期には一六ヵ院を数えていた。他の四ヵ寺はその数は少なく、同じ時期で妙国寺四ヵ院、本光寺二ヵ院、法禅寺一ヵ院、願行寺二ヵ院で、その数は年代によって増減があり、一定していなかった。それは、塔頭は特定の檀徒を有していないので、本寺の力が強いとき、あるいは有力な外護(げご)者がいるときは、本寺の庇護のもとに運営されてゆくことができるが、本寺の力が弱まり、援助する者がいなくなると、本寺がこれを支えてゆくことができず、廃絶してしまう場合が多い。
東海寺の塔頭も、その創立は前述のように、二つに分けられ、前住の隠棲した春雨庵(しゅんうあん)(沢庵)・師望(しせい)院(天倫)・法雲院(定慧院の住持が隠棲)などと、有力檀徒の創立した玄性院(堀田加賀守正盛)・妙解(みょうげ)院(細川肥後守光尚)・長松院(将軍綱吉生母桂昌院)・清光院(奥平大膳大夫家昌)・定慧院(じょうえいん)(安藤対馬守重博)・慈雲庵(幕府の医師武田氏)・少林院(細川氏)などに区分される。これらの塔頭が明治維新後、徳川将軍以下庇護者を失って、つぎつぎに廃絶し、現在は一六ヵ院のうち春雨庵(現在の春雨寺)・清光院・玄性院(現在は本寺を継承して東海寺と称している)高源院(世田谷区烏山に移転)の四ヵ院が残っているだけである。