品川区には大谷派三ヵ寺、本願寺派一ヵ寺、計四ヵ寺の真宗寺院があるが、いずれも歴史が古い。
この真宗寺院には、古くから世襲で住職を継承するという慣習があって今日に至っている。つまり真宗では、親鸞(しんらん)のとなえた肉食妻帯を認めるために、血縁相承(けちえんそうしょう)の方式がとられていて、妻帯を認めない他宗派にはない世襲制がおこなわれていた。
東本願寺大谷派の南品川二丁目の心海寺は、家康の家臣本多九八郎忠峰が出家して峯山と祢し、自ら開山となった寺であるが、峯山以来現住職に至るまでの十四代の間、親子等の血縁関係で住職の座を継承してきている。
北品川二丁目にある正徳寺は真宗の寺で京都東本願寺末である。永仁六年(一二九八)の創建と伝え、住職は古くより世襲で今日に至っている。
真宗の場合、東も西も住職の妻はいわゆる梵妻(だいこく)(僧の非公認の妻)でなく、正式の妻であり、坊守(ぼうもり)と呼ばれていた。
正徳寺の過去帳には、この坊守のことも記載されていて、一例をあげると
尼 清園 廿一世理天室
文化四丁卯正月二日
と記録され、正徳寺二十一世理天の妻は、文化四年(一八〇七)に死去しており、「尼清園」という法名がつけられている。
この婚姻はほとんど宗門の内輪同士でおこなわれていたようで、この風習は現代でも踏襲されている。
各寺の坊守たちは、地域ごとに坊守講を組織し、毎月一回各寺廻り持ちで、その寺に講に加入している坊守たちが集まり、会食をして懇親をはかっていた。坊守講は現在でも続けられていて、大谷派では品川区内の三ヵ寺の加入している坊守講は芝・麻布・品川・大井の二二ヵ寺で結成されていて、二〇〇年の歴史をもっているといわれている。現在の坊守講は東京教区に八つの組があり、現在は坊守会と称しており、前記の坊守講はその第五組として毎月集まりを持ち、法話を聞き、声明(しょうみょう)の稽古などをおこなっている。