神社の分布

943 ~ 948

『新編武蔵風土記稿』によれば、品川区内にはこれが編纂された文政年間(文政十一年一八二八―までに調査)に四〇社の独立した神社があったようである。(第70表)この神社の地域的分布を見てみると、

 

 (品川地区)              (大崎地区)

南品川宿    六社          上大崎村  一社

北品川宿    二社          下大崎村  二社

歩行新宿    一社          桐ヶ谷村  五社

南品川猟師町  一社          居木橋村  一社

南品川新開場(利田新地)一社      品川台町  一社

品川地区計  一一社          永峯町   一社

                    大崎地区計一一社

  (大井地区)

大井村    一〇社          上蛇窪村  一社

  (荏原地区)

中延村     二社          下蛇窪村  二社

戸越村     一社          荏原地区計 八社

小山村     二社          合計   四〇社

 第70表 品川区内近世神社一覧表(『新編武蔵風土記稿』・『御府内備考』等により作成)
社号 所在場所 管掌者 備考 現在の社号 備考
稲荷社 北品川宿(鎮守) 神主小泉出雲 祇園貴布祢ヲ相殿東照宮ヲ祀リ、四座ヲ品川大明神ト総称 末社多数 品川神社
南品川宿 小名御蔵山 神主鈴木帯刀 俗称御蔵山稲荷 御蔵山稲荷神社
南品川宿 小名広町耕地 神主鈴木帯刀 俗称稲荷森稲荷 東関森稲荷神社
大井村 村の西方稲荷森 来福寺持 森下稲荷神社
大井村 小名浜川町 百姓の持
品川台町 神主山口氏 俗称忍田(しのだ)稲荷 袖ケ崎神社
下蛇窪村 東光寺持 天祖神社に合祀
品川歩行新宿 善福寺持 俗称谷山稲荷 品川神社に合祀
貴布袮社 南品川宿(鎮守) 神主鈴木帯刀 末社日本武尊少彦名尊八幡天神合社
天児屋根尊疱瘡神合社三峯権現社
荏原神社
南品川宿枝郷三ッ木(産神) 神主小泉出雲 倉稲魂神社市杵島姫命社
末社稲荷社大山祇社
貴船神社
寄木明神社 南品川猟師町 神主鈴木帯刀 祭神日本武尊 寄木神社
三岳権現社 南品川宿 小名後路町 神主鈴木帯刀 祭神大山祗命相殿倉稲魂命 三岳神社
弁天社 南品川新開場 社守仙杖院 俗称洲崎弁天社 利田神社
清瀬天満宮 北品川宿 小名北馬場町 神主小泉出雲 品川神社に合祀
諏訪社 南品川宿 妙国寺の南 妙国寺鎮守 諏訪神社
桐ケ谷村 村の南 安楽寺持 氷川神社に合祀
大井村 小名浜川町 来福寺持 天祖諏訪神社
三島社 上大崎村 村の南 宝塔寺持 雉子神社に合祀
子ノ神社 下大崎村 村の西 別当宝塔寺 雉子神社に合祀
雉子宮 下大崎村(鎮守) 別当宝塔寺 上・下大崎村・谷山村の鎮守
末社稲荷三島子神合社
雉子神社
五社明神社 居木橋村(鎮守) 観音寺持 雉子大明神に貴船明神・春日明神
子権現・稲荷明神を配祀
居木神社
第六天社 桐ケ谷村 見捨地・村の西 安楽寺持 氷川神社に合祀
桐ケ谷村 下目黒村の往還 安楽寺持
氷川社 桐ケ谷村 安楽寺持 末社稲荷社 氷川神社
鹿島社 大井村(鎮守) 別当常林寺
(来迎院)
末社稲荷社弁天社 鹿島神社
神明社 大井村小名浜川町(鎮守) 来福寺持 末社 稲荷社 天神社 疱瘡神社 弁天社 天祖神社
上蛇窪村(鎮守) 長遠寺持 末社稲荷社
下蛇窪村(鎮守) 東光寺持
八幡社 大井村 小名御林町(鎮守) 御林町の持 常林・来福隔年に司 末社 弁天社 稲荷社 鮫洲八幡神社
桐ケ谷村 村の南の丘上 安楽寺持 氷川神社に合祀
中延村(鎮守) 別当法蓮寺 妙見堂・毘沙門堂 旗ケ岡八幡神社
戸越村(鎮守) 別当行慶寺 戸越八幡神社
小山村 別当皆合院 山谷八幡神社
永峯町 別当高福院 誕生八幡神衽
九頭龍権現社 大井村 常林寺持 水神社
蔵王権現社 大井村 村の北方権現台 来福寺持
滝王子権現社 大井村 村の中程 来福寺持 滝王子稲荷神社
荒神社 大井村 村の西方 来福寺持
妙見社 中延村 鏑木氏の持 葛原神社
小山村 摩耶寺持 末社稲荷社・第六天社 池の谷八幡神社

 

以上のとおりで、品川地区・大崎地区・大井地区にほぼ同数の神社が分布し、荏原地区がやや少ないことがわかる。宿村単位でみると大井村が一村で一〇社あり、南品川宿の六社がこれにつぎ、桐ケ谷村が小村でありながら一村で五社を持っている。他はすべて一村一~二社程度であった。人口の密集地帯である南品川宿に神社の数が多いのは当然である。大井村に一村で一〇社もの神社があるのは、大井村は大村で、そのなかに純漁村である御林猟師町(おはやしりょうしまち)や、半農半漁地域である浜川町を包括していたからであろう。

 この四〇社の神社を社号別に分けてみると、稲荷社が最も多く八社を占め、市街地にも農村にも祀られていて、稲荷信仰の幅広い普及ぶりを知ることができる。稲荷社はこの表に載るまでに至らない町角の小祠、村のなかの小社がこのほかに多く存在し、これを含めるとその数はさらに増加する。


第219図 東関森稲荷神社

 ついで八幡社が六社あり、東国における八幡信仰の根強さを示している。つぎに諏訪(すわ)社と神明(しんめい)社が各三社あってこれにつづき、貴布祢(きふね)社(貴船社)・妙見社・第六天社が各二社あり、それにつづいている。

 この四〇社の管掌者と調べてみると、このうち九社(二二・五%)は三家の神職家がこれに奉仕し、その管掌にあたっており、他の三一社は神職は直接関与せず、寺院が別当をつとめるもの、村持(町内持)、個人持の神社で、祭礼などにのみ寺院あるいは神職が関与するもの、村持(町内持)の神社を修験者(しゅげんじゃ)が社守をしているものの三つの形に分けられる。

 寺院が別当として直接管掌しているものは二七社(六七・五%)を占め、これを宗派別に見ると天台宗が最も多く一三社を管掌し、以下真言宗八社、法華宗三社、浄土宗・時宗・念仏宗(宗旨不明)各一社という順でこれに続いている。天台・真言・法華という密教系の寺院が多いのは、全国的に見ても一般的な傾向である。そして阿弥陀(あみだ)のみを信仰対象とする真宗が、神社に関与していないのも一般的な傾向である。

 町内持の神社は三社(七・五%)あり、そのうち一社は、その地域の天台宗と真言宗の二つの寺院が、一年おきに交互に祭事を司るというしきたりになっているもの、他の一社は、修験者つまり山伏が社守をしているものである。この修験者は、のちに社守でなく別当であるといい出して、町内の者と紛争を起こすが、このことについては後章で詳記したい。

 残りの一社(二・五%)は個人持で、中延村の妙見社である。この神社は同村の名主鏑木家が創建したもので、千葉氏の庶流と伝えられる同家が、千葉氏が代々鎮守としている妙見社を村内に勧請したもので、鏑木一族の氏神となっている。