鹿島宮の祭礼

977 ~ 981

大井村の鎮守鹿島宮(現在の大井六丁目鹿島神社)は隣接の天台宗来迎院が、別当をつとめていたが、その祭礼の進行についての手順が来迎院所蔵の記録のなかに詳細に記されている。この記録は、安政(一八五四~一八六〇)ごろに同院の住職が、年中行事のやり方を細かく記したものであるが、このなかに

「一 当番厨子之若者十七日ニ御宮掃除・道具揃ニ参候、其節も酒出申候、

 一 十八日 同断 酒を仕舞に出申候、

 一 十九日 本祭 惣代不残罷越、酒ハ厨子世話人ヘ申渡扱出申候、

 一 鹿嶋宮御神酒徳利弐ヘ(ママ)相供

 一 御宮御膳講中御膳を上候、仕舞ニ御供配申候、

    近年は

  今さか 弐ツ(水引結 半紙包)

  曼頭(まんじゆう)  壱ツ

  供〓(餅カ)  壱切

  右御膳講中ヘ御札ニ添置候事、

 一 護摩(ごま)講中より    一座

  是ハ夜宮ニ上リ申候(蝋燭弐丁用意持参)

 一 御当日御膳高盛用意

   長□竿(芋カ) 壱本

    くわひ(い)十弐三(外の物にてもよし見合)

    三ツは(葉)かせり(芹)

    氷ゆばヵこ(ん脱カ)にやく 十四五枚

   右立花  七本

    神明前ニて前以用意

 一 御菓子  今さか弐百文

        まんぢゅう百文

 一 当日九ッ過

    護摩修行

     御札并湯札 供置

 一 御祭相済翌日護摩御膳講中へ御供物并札遣事 大野五蔵殿致通話呉候事

 一 御祭礼夜宮太鼓打、若者やぐらへ酒遣之、

 一 御当日も同断 但し当番之方より気を付遣候事

 一 御当日来福寺法楽ニ相見申候(惣代挨拶酒御神酒赤飯出之)

    普門品心経法楽相済、

    自坊ニて酒肴祝之、

   尤客殿江案内一同ニ村役人并村小前之者共膳ニ付、赤飯・酒ニて馳走、当番之者給仕、

   煮付

    平いもこんにゃ(く脱カ) 汁

            濁酒

    香物  赤飯

 一 鈴ケ森清右衛門へ自坊より弐百文遣事、

   [当番より(挿入)]其外乞食共へ皆々赤飯遣す、

   村内小供へも紙ニ包遣候、是ハ当番の取[  ]

 

と記されていて、鹿島宮の旧暦九月十九日の祭礼には別当来迎院の住職が神前で護摩を焚き、祭事は宮の惣代や厨子世話人(厨子とは小字のこと、各村落からでている世話人をさす)が中心になって進められた。また夜宮(宵宮祭)にも本祭にも、村の若者が櫓(やぐら)の上で太鼓をたたいた。この本祭には大井村にある同じ天台宗の来福寺の住職がきて、神前で法華経普門品や般若心経(はんにゃしんきょう)を読誦し、この法楽が済んだあと、来迎院の客殿に来福寺住職を案内し、この席に来迎院住職・宮惣代・大井村の村役人や小前の者一同が集まり、この席に赤飯・里芋・こんにゃくの煮付・汁・香の物のついた膳が出、酒が出て会食がおこなわれた。


第227図 鹿島神社


第228図 来迎院

 この記録には神前に供える供え物の菓子や野菜の種類が記されており、この供え物の手配は村民たちで御膳講と呼ぶ講集団がつくられていて、この講中がおこなったことが記されている。また本祭の護摩の執行にあたっては、同じように護摩講がつくられていて、この講中がこれに奉仕したのである。

 来迎院では、九月早々に祭礼に使われる濁酒造りを始める。そして十五、六日の日数をかけて造り上げる。この造り方が前記の記録に詳しく記されているが、この酒は鹿島宮の神前に供える御神酒として使われるほか、九月十七日と十八日の両日、村の若者が祭礼準備のための社殿の掃除や、祭礼に使われる道具の取揃えをおこなったあとにふるまったり、九月十九日の祭礼当日、宮の惣代・厨子世話人・村役人たちにふるまわれる。