大井村のうち御林猟師町(のちの鮫洲(さめず)町一帯)は、漁業専業者の住居区域として一区画を形成していて、別に鎮守の御林八幡宮(現在の東大井一丁目鮫洲八幡神社)が町内に祀られていた。この御林八幡宮は御林猟師町の持ちで、住民がこれを管理していたが、祭礼は前記の来迎院と来福寺の二ヵ寺が、一年交替でこれをつかさどることになっていた。
この祭礼は八月十五日におこなわれたが、この祭礼のことについても、前記の来迎院の記録に細かく記されているので、その部分を引用してみると、
「 八月
(中略)
一 十五日
御林八幡宮祭礼、両院出会四時参、来福寺ヘ向参ルベシ、当番之年は所化道心(前夜宮)者同道、賽物番ニ遣、当日仕舞迄、
(中略)
八幡当番デナキ時も町役人三人致レ礼ニ参ル、
御初穂 三十疋
供ヘ 百文
右祭後持参
来福寺当番之節は一度法楽、跡ハ持帰候、尤暁六ッ時迄ニ八幡ヘ参リ候事 近年ハ朝ハヤキユヘナリ、
とあり、御林八幡宮の祭礼には当番の寺が主体となり、両寺の僧が早朝から神前で法楽を上げ、当番の寺の所化(しょけ)や道心(どうしん)が社殿に詰めて、賽物番(さいもつばん)などの奉仕をしたことがわかるのである。